「あなたは、野蛮ですね。
あなたは、仕事ができませんね。
あなたは、仲間ですよね。
あなたは・・・
いたっけ?
」
こんにちは、41歳美大生、日本マジョリティ、中山です。
今回は刺激的な言葉で始まりました。
真面目な話をしたいと思うからです。
金カム・・・つまり『ゴールデンカムイ』二次創作における、アイヌキャラクターの和名使用についてです。
その話題に触れたので改めて調べてみたところ、すごく厳粛な気持ちになりました。
その内容については順々ご説明するんですけども、声高く言いたいのは「名前を変えられる事は、存在を変えられること」ということです。
知らないことは仕方ない面もある、と思います。私自身、複数の本と論文をあたってようやくイメージできたところです。
知らなかったなら学んでほしい。そのためにこのエントリーを書いています。
このエントリーは以下のように進行します。
- 創作について責任の所在。二次創作は創作で、創作は現実にも影響があるよ
- アシㇼパさんの和名はなぜダメなのか。同化政策の歴史、そして「消された」ことのある人たちの歴史
- まとめにかえて、パッシングと原作21巻に見る善意の同化思想とその拒否
特に2について、繰り返すけれど私も知りませんでした。
そのことを恥じないで、一緒に勉強しませんか。
それではまず、このエントリーを書いたきっかけ、なぜ創作に対して敏感になるのか・・・ということから解説したいと思います。
(なお以降の文中の※印は、文末の参考資料と対応しています)
1.創作について責任の所在。二次創作は創作で、創作は現実にも影響があるよ
そもそも今回のエントリーは、「『ゴールデンカムイ』二次創作の、アイヌキャラクター和名使用」が発端として書かれています。
改めて確認しますと、ある漫画(ほかアニメ、ゲーム、映画)のキャラクターや世界観をそのままに、別な解釈の物語を展開することを「二次創作」と呼びます(原作者自身が二次創作をするパターンもあります)。
二次創作では必ずしも原作に忠実である必要はありません。どこかに原作のイメージを残していればかなりの変更でも受け入れられる土壌があります。
そのため、今回は『ゴールデンカムイ』に登場するアイヌ民族の少女「アシㇼパ」が、原作にも登場した和名を名乗る二次創作が作られました。
(それがなんで問題なの?に関しては後述します)
さて、
「なんで創作(フィクション)で。。。その上二次創作までいろいろ口出しされなきゃいけないんだろう」
そう感じている人がいるかもしれませんので、まずそこについて解説しますね。
まず二次創作は創作です。創作者には当然責任があります。
お金を取っていなかろうと、公の媒体に乗っていなかろうと、他者の目に触れればそれが発表です。
今回、私自身がTwitterで該当作品を目にしています。
Twitterは日本で4500万人(世界では3億3,000万人)(※1)の超巨大プラットフォームであり、ここに流れてきたなら発表と言え、そして発表されるからには社会へ投げかけられたものと捉えられます。
そして「創作(フィクション)なのに」についてですが、創作は現実にも影響を及ぼします。
例えば先日、こんな記事を書いたんですが。
この記事を書くにあたり、『ゴールデンカムイ』に頻出するアイヌ料理「チタタㇷ゚」の調理方法が現実と異なることを知りました。
これは作者の野田先生の創作であり、その根拠が存在します。
創作についての演出は肯定します(面白ければアリですから)。
しかし『ゴールデンカムイ』を読み、実際の文化を知らなければ、アイヌ文化がひとつ誤って伝わっていきます。
これは「創作が現実に影響する」ということそのものです。
「でも普段二次創作にこんなに気をつけてないよ!なんで『ゴールデンカムイ』の二次創作ばっかり!?」と疑問に思う方もいるかもしれません。
しかしこちらには
【現実のマイノリティ民族を扱っている以上、その責任がとても重くなる題材だから】
という答えになります。
気軽な創作というわけにはいかない題材ですね。
さて、創作で現実の民族を扱うとは、一体どのような責任が伴うのか。
まずは歴史を知ることから始めなければいけません。
それではアイヌ民族の歴史を、「名前と存在」に絞ってご紹介したいと思います。
2.アシㇼパさんの和名はなぜダメなのか。「名前を消された」ことのある人たちの歴史を追う
アイヌ民族の歴史は古く、縄文時代からさかのぼることができます。
1万1000年前に日本列島の北部に住んでいた縄文人、これらの人々がアイヌ民族の祖先だと考えられています。
記録としては7~8世紀擦文時代などに確認できるようです(※2)。
その歴史すべてを解説するには膨大な知識、資料、文章量が必要です。
今回のエントリーでは、アイヌ民族全体において「名前を変えられると存在も変えられる」を主眼とし、ターニングポイントを3つピックアップして解説します。
以下3つの時代を取り上げます。
1.明治時代~同化政策と「旧土人」
日本政府は明治維新後、1869年に蝦夷地を日本の領土に組み入れました。その際、アイヌ民族の呼称を「旧土人」としました。
そして同化政策が施行されました。
同化政策とは、「強い民族が弱い民族の文化否定、他文化の強制を通して文化を捨てさせ、自己の文化に同化させようとする政策」です。
- アイヌ語の禁止
- 女性の刺青・男性の耳飾りの禁止
- サケ漁やシカ猟、イオマンテ(儀式)の禁止
- 樹木の伐採の禁止(チセ(家)作成の実際上の禁止)
- 特設アイヌ学校にて、日本語、生活風習の教育
- 和人風の創氏の強制
アイヌ民族固有の文化を「野蛮」とし、学校で日本語、日本の風習を教え、日本風の氏名を強制しました。
また1899年、「北海道旧土人保護法」が制定されます。
これは狩猟・漁業・採集を禁じられ、経済的に困窮したアイヌ民族に土地を与えるものでした。しかし与えられたのは痩せた土地で開墾に失敗するアイヌ民族も多く、アイヌ民族は困窮したままでした。
2.大正時代 同化思想の仲間意識「ウタリ」
1910年~20年代、日本で大正デモクラシー(民主主義運動)が起こり、北海道でもアイヌ民族によるアイヌ民族復権を求める動きが高まりました。
アイヌの物語を遺したアイヌの少女知里幸惠(1903~1922)をきっかけに、1930年に北海道アイヌ協会が作られ、「北海道旧土人保護法」の改正が叫ばれました。
が、1920年代後半ごろから、和人の公文書にアイヌ民族を表す「ウタリ」という呼称がでてきます。(※3)
ウタリとは「同族」というアイヌ語です。
同化政策を推進していた和人たちが、アイヌ民族の「同族」という呼称を拝借して使ったのでした。
しかし現実的にはアイヌ民族への圧倒的な差別があり、和人とアイヌ民族は同族と言える状態では(全く)ありませんでした。
仲間意識「だけ」ある状態でした。
また当時の北海道では「アイヌ」ということば自体に強烈な差別感情が付属してしまい、和人の中でも問題視されていました。
そこでアイヌではなく別な名(ウタリ)で呼んではどうかと議論されていました。
現実の差別については対策は取れていなかったようです。
3.昭和時代 「皇民の兵士」からの単一民族発言「いない。」
昭和、そして第二次世界大戦後もアイヌ民族への差別は続きました。
大正~昭和のアイヌ民族の歌人、違星北斗の昭和2年の短歌では、根深い差別を描き出しています。
「アイヌッ!とただ一言が何よりの侮辱となって燃える憤怒だ」
違星北斗『違星北斗歌集 アイヌと云ふ新しくよい概念を』株式会社KADOKAWA より引用
そして日本政府は第二次世界大戦中、アイヌ民族(特に青年)を「皇民の兵士」と呼びます。
もちろん徴兵のためです。和人はアイヌ民族を「真に和人の一翼」と激励しました。
しかし戦後の農地改革法のアイヌ給与地に対する適用ではアイヌ民族の要求が通ることはありませんでした。
そして時代は下り、1986年。
当時の日本の首相が以下の発言をしました。
「日本は単一民族国家であり、差別を受けている少数民族はいない」
存在を無視されたアイヌ民族は抗議の声を上げ、国内および国際社会に状況を訴える活動が行われました。
そして2008年、日本の国会にて「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」が採択されました(※4)。
本エントリーの冒頭に書いた言葉は、この150年近くにわたり、アイヌ民族が日本から受けてきたメッセージです。
「あなたは、野蛮ですね(アイヌを捨てなさい、従いなさい)。
あなたは、仕事ができませんね(今までやってきた狩猟や漁業はやらせません、不得意でも不利でも別な仕事をやりなさい)。
あなたは、仲間ですよね(差別はするけど→徴兵のためだけど)。
あなたは・・・
いたっけ?(行政からの忘却)
」
和人は都合により、アイヌ民族をアイヌと呼び戦い、旧土人と呼び支配し、差別があってもウタリ(仲間)と呼び、徴兵のために皇民の兵士と呼び、最後には存在を無視しました。
もともとある名前をその時の和人の都合で変えられ、ついには存在すら消されたアイヌ民族の呼称の歴史。
他民族の呼び方を変えることは、他民族への対応や存在の捉え方を都合よく変える宣言でした。
3.まとめにかえて、パッシングと原作21巻に見る善意の同化思想とその拒否
このエントリーでは、アイヌ民族全体の和人からの呼び名の歴史と、それに伴う扱いの変化を見ていきました。
上記歴史はアイヌ民族全体のことでしたが、個人としては「パッシング」(※5)という概念があります。
パッシングとは、マイノリティ自らが迫害から逃れるために素性を隠し、マジョリティとして生活することです。
ここで創作の話に戻ります。
アイヌ民族である『ゴールデンカムイ』のアシㇼパさんを主人公とした二次創作をする際、
「現代を舞台にしたいけれど、アシㇼパさんにのびのび過ごしてほしいから和名にしよう」
そう表現することは、和人にとっては善意であれ同化思想であり、アイヌ民族にとってはパッシングです。
同化、そしてパッシングを良しとする創作は、つまり差別を肯定する創作です。
歴史から鑑み、「アイヌ民族への差別を是正するつもりはなく、アイヌ民族に文化を捨ててもらい、和人に同化・迎合させ、その存在を消すことで周囲の平和を保つ」メッセージを帯びます。
現実に辛い歴史を持ち、また現在も素性を隠して過ごす多くのアイヌ民族の人に対して侮蔑的な表現となり得るのです。
もちろん創作を離れた現実を生きるアイヌ民族の和名使用は、個人としての都合、思想、思い入れなどが尊重されるべきです。
しかしこと二次創作で言えば、
「よりにもよって和人がやっちゃダメだろう」
これに尽きるかなと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なお同化のイメージについて、実は『ゴールデンカムイ』21巻に見ることができます。
『ゴールデンカムイ』の物語のキーである「莫大な黄金の隠し場所の暗号」を唯一知るのが、「アイヌの愛娘」アシㇼパです。
主人公である杉元は、アシㇼパを鶴見中尉(離反軍人による北海道植民地化を企てている)との戦いの場から引き離そうとします。
一方、鶴見中尉は甘言を用いてアシㇼパを捕獲、幽閉しようとしています。
杉元は黄金を鶴見中尉に譲り、少女であるアシㇼパに安全な場所で楽しく暮らしてもらいたいと願っています。
これは善意です。
鶴見中尉は過去に遺恨のある男の娘であるアシㇼパへの個人的な感情、そして北海道植民地化のために殺さず手元に置こうとしています。
これは悪意です。
しかしながらアイヌ民族の立場で言えば、杉元(善意)であれ、鶴見(悪意)であれ、和人に従い、黄金を差し出せば生かして「もらえる」ということです。
が、アシㇼパは、鶴見中尉と敵対、「杉元と共に黄金を自らが探す」という選択をします。
黄金の行方はアシㇼパの自由意思で決定されたのです。
筆者は、『ゴールデンカムイ』の最終回の政治的な表現について納得はしていません。
最終回はあまりに性急であり、説明も不足していると感じています。このあと加筆・修正したバージョンで単行本発売がされることを待っています。
しかし、この21巻の杉元とアシㇼパさんの関係性について、これに関しては「和人がアイヌの意思を尊重し、伴走した」メッセージとして受け取っています。
2008年に閣議決定された通り、アイヌ民族は和人とは別民族です(もちろん、それ以前もずっと別の民族でしたが)。
別民族として認め、助け、助けられ、別々な存在として尊重し合う。
その名前、文化、そして意思を、互いに尊重し合う。
それが民族と民族の正しい共存の仕方ですし、『ゴールデンカムイ』が描くことを期待された「かっこいいアイヌ」ではないでしょうか。
それでは結びにかえて、「アイヌの愛娘」アシㇼパさんの決意の言葉を引用させていただきます。
by中山今2022/6/9
・・・・と、かっこよく終わりたいところですが、残念ながら現実はそうかっこ良くは終われません。
現実に差別は存在しているし、当事者は困っています。
というわけで、『ゴールデンカムイ』が好きだったならなおさら、アイヌ民族を知りましょう!
本エントリーでも紹介しましたが、「しれっとないことにされる」のってめっちゃヤバいです。プライド的にもそうですけど、存在がないことにされると行政とかのルートがなくなるんですよ。
個人的な話で恐縮ですが、私、子どもが保育園落ちたのになぜか行政的にカウントされず(なぜッ!?)「ウチの区は待機児童ゼロなので二次募集はありません」って言われて役所で無言になりましたもん。消されると何もできないんです!!
えーとにかく、アイヌ民族を知り周知することは「現実の民族をエンタメとして消費した」ファンダム(含む私)の責任だと思いますです。
↓やっぱりこちらがオススメ!野田先生の読み切り(杉・白・アシㇼパのアイヌ話だよ)も付いてるのでぜひどうぞ!
参考資料
※1
(echoes『【2022年1月更新!】データからみるTwitterユーザー実態まとめ』20220605閲覧 より引用)
https://service.aainc.co.jp/product/echoes/voices/0014
※2
榎森 進 (著)『アイヌ民族の歴史』 草風館 2007年 P17
※3
小川, 正人
「アイヌ教育制度」の廃止 : 「旧土人児童教育規程」廃止と1937年「北海道旧土人保護法」改正
北海道大學教育學部紀要, 61, 37-79
公開日1993-06
閲覧日2022/06/07
閲覧P67
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/29404/1/61_P37-79.pdf
※4
アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議案(第一六九回国会、決議第一号)
閲覧日2022/06/08
※5
著者 吉田 栄人
雑誌名 人文論集
巻 44
号 1
ページ A37-A62
発行年 1993-07-30
出版者 静岡大学人文学部
URL http://doi.org/10.14945/00008904
ほか参考資料
・中川 裕 (監修) 『アイヌ文化の大研究 歴史、暮らし、言葉を知ろう』 (楽しい調べ学習シリーズ) PHP研究所 2018/12/6
・榎森 進 (著)『アイヌ民族の歴史』 草風館 2007年
・東村 岳史 (著)『戦後期アイヌ民族‐和人関係史序説―1940年代後半から1960年代後半まで』三元社 2006年
・新谷 行 (著)『アイヌ民族抵抗史』河出書房新社 2015年
・ 西川博史 (著)『日本占領と軍政活動―占領軍は北海道で何をしたか』現代史料出版 2007年
・ 濱口 裕介 (著), 横島 公司 (著)『松前藩 (シリーズ藩物語) 』現代書館 2016年
日本文化の特殊性、普遍性―比較文化論の立場から
著者 別府 春海
雑誌名 日本研究・京都会議 KYOTO CONFERENCE ON
JAPANESE STUDIES 1994 ?
巻 .non01-01
ページ 345-354
発行年 1996-03-25
その他のタイトル Nihon bunka no tokushusei, fuhensei: Hikaku
bunka ron no tachiba kara
URL http://doi.org/10.15055/00003479