「黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ | 第39話 怪物たち」
コレは参りましたねえ。
藤田和日郎と言えば少年ヒーロー漫画の大御所。私も『うしおととら』はマジのマジで大好きなわけですが、少年が悪を滅ぼすヒーローものから30年、いま講談社のモーニングでやってるのが「19世紀ゴシック女流小説家が男性社会に抗うファンタジー」で。
少し、たくさんせりふを引用します。
私はただ正しいことを主張すれば相手は負けを認めるだろうと思っていた(中略)
だから私は女の大義という母の教えの陰から主張していたのだ(中略)
私は今、命を狙われている
私は黙っているべきだったんだろうか(中略)
いや
今、私の権利が脅かされている!
真実を知る権利と生きる権利!
どこかのたくさんの「女」の権利じゃない!
私の・・・
私の・・・
この「私」の権利だ!
(藤田和日郎『黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ』講談社 2023年より引用)
痺れたし、痛かったですね私ア。
誰かの陰に隠れて主張するってのは、ハイ、イタタタタ、です。
『黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ』は、19世紀の小説家メアリー・シェリー、つまり『フランケンシュタイン』を著した小説家をモデルに描かれるファンタジーです(そのため、母は18世紀のフェミニスト思想家、メアリ・ウルストンクラフトです)。
そのため、引用したせりふの「母の教えの陰から主張していたのだ」とは、偉大なる母の言論に隠れ、自分の主張はなあなあにしていた、という反省と自己嫌悪です。
『フランケンシュタイン』にて、おぞましき怪物を文で描き出した女性が、「私も「怪物」にならねば」と決意します。
この怪物とは、醜かろうが強く、命に在らん限りの執着を持つ善きアイコンとして表現されています。それは異貌の「ヒーロー」と読んで差し支えないでしょう。メアリーはヒーローになると立ち上がるのです。
ヒーローの根拠としてのフェミニズム。
私はここに、「藤田和日郎が大御所で男性だからこそこのテーマを描けている」という指摘もします。若い女性アーティストが同じことを描いたらどれだけ批判されるか。それ以前に掲載してもらえるかどうか。
しかし、それを鑑みてもなお、日本の少年漫画がフェミニズムを根拠に据えた作品として寿ぎたいと思うのです。