漫画のこと。

漫画好きが読んだ漫画を紹介したり批評したりするブログです。

『ゴールデンカムイ』二次創作アイヌ和名について。「名前を変えられる事は、存在を変えられること」~21巻の考察を交えて~

「あなたは、野蛮ですね。

あなたは、仕事ができませんね。

あなたは、仲間ですよね。

あなたは・・・

いたっけ?

 

 

こんにちは、41歳美大生、日本マジョリティ、中山です。

 

今回は刺激的な言葉で始まりました。

 

真面目な話をしたいと思うからです。

 

金カム・・・つまり『ゴールデンカムイ』二次創作における、アイヌキャラクターの和名使用についてです。

 

その話題に触れたので改めて調べてみたところ、すごく厳粛な気持ちになりました。

 

その内容については順々ご説明するんですけども、声高く言いたいのは「名前を変えられる事は、存在を変えられること」ということです。

 

知らないことは仕方ない面もある、と思います。私自身、複数の本と論文をあたってようやくイメージできたところです。

 

知らなかったなら学んでほしい。そのためにこのエントリーを書いています。

 

 

このエントリーは以下のように進行します。

 

  1. 創作について責任の所在。二次創作は創作で、創作は現実にも影響があるよ
  2. アシㇼパさんの和名はなぜダメなのか。同化政策の歴史、そして「消された」ことのある人たちの歴史
  3. まとめにかえて、パッシングと原作21巻に見る善意の同化思想とその拒否

 

特に2について、繰り返すけれど私も知りませんでした。

そのことを恥じないで、一緒に勉強しませんか。

 

それではまず、このエントリーを書いたきっかけ、なぜ創作に対して敏感になるのか・・・ということから解説したいと思います。

 

 

(なお以降の文中の※印は、文末の参考資料と対応しています)

 

1.創作について責任の所在。二次創作は創作で、創作は現実にも影響があるよ

 

そもそも今回のエントリーは、「『ゴールデンカムイ』二次創作の、アイヌキャラクター和名使用」が発端として書かれています。

 

改めて確認しますと、ある漫画(ほかアニメ、ゲーム、映画)のキャラクターや世界観をそのままに、別な解釈の物語を展開することを「二次創作」と呼びます(原作者自身が二次創作をするパターンもあります)。

 

二次創作では必ずしも原作に忠実である必要はありません。どこかに原作のイメージを残していればかなりの変更でも受け入れられる土壌があります。

 

そのため、今回はゴールデンカムイ』に登場するアイヌ民族の少女「アシㇼパ」が、原作にも登場した和名を名乗る二次創作が作られました。

(それがなんで問題なの?に関しては後述します)

 

 

 

さて、

「なんで創作(フィクション)で。。。その上二次創作までいろいろ口出しされなきゃいけないんだろう」

そう感じている人がいるかもしれませんので、まずそこについて解説しますね。

 

まず二次創作は創作です。創作者には当然責任があります。

お金を取っていなかろうと、公の媒体に乗っていなかろうと、他者の目に触れればそれが発表です。

 

今回、私自身がTwitterで該当作品を目にしています。

Twitterは日本で4500万人(世界では3億3,000万人)(※1)の超巨大プラットフォームであり、ここに流れてきたなら発表と言え、そして発表されるからには社会へ投げかけられたものと捉えられます。

 

 

そして「創作(フィクション)なのに」についてですが、創作は現実にも影響を及ぼします。

 

例えば先日、こんな記事を書いたんですが。

 

ima-nakayama.hatenadiary.com

 

この記事を書くにあたり、ゴールデンカムイ』に頻出するアイヌ料理「チタタㇷ゚」の調理方法が現実と異なることを知りました。

 

これは作者の野田先生の創作であり、その根拠が存在します。

 

創作についての演出は肯定します(面白ければアリですから)。

 

しかしゴールデンカムイ』を読み、実際の文化を知らなければ、アイヌ文化がひとつ誤って伝わっていきます

 

これは「創作が現実に影響する」ということそのものです。

 

 

「でも普段二次創作にこんなに気をつけてないよ!なんで『ゴールデンカムイ』の二次創作ばっかり!?」と疑問に思う方もいるかもしれません。

しかしこちらには

 

【現実のマイノリティ民族を扱っている以上、その責任がとても重くなる題材だから】

 

という答えになります。

 

気軽な創作というわけにはいかない題材ですね。

 

さて、創作で現実の民族を扱うとは、一体どのような責任が伴うのか。

 

まずは歴史を知ることから始めなければいけません。

 

それではアイヌ民族の歴史を、「名前と存在」に絞ってご紹介したいと思います。

 

2.アシㇼパさんの和名はなぜダメなのか。「名前を消された」ことのある人たちの歴史を追う

 

アイヌ民族の歴史は古く、縄文時代からさかのぼることができます。

1万1000年前に日本列島の北部に住んでいた縄文人、これらの人々がアイヌ民族の祖先だと考えられています。

 

記録としては7~8世紀擦文時代などに確認できるようです(※2)。

 

その歴史すべてを解説するには膨大な知識、資料、文章量が必要です。

今回のエントリーでは、アイヌ民族全体において「名前を変えられると存在も変えられる」を主眼とし、ターニングポイントを3つピックアップして解説します。

 

以下3つの時代を取り上げます。

 

  1. 明治時代~同化政策と「旧土人
  2. 大正時代~同化思想の仲間意識「ウタリ」
  3. 昭和時代~「皇民の兵士」からの単一民族発言「いない。」

 

1.明治時代~同化政策と「旧土人

日本政府は明治維新後、1869年に蝦夷地を日本の領土に組み入れました。その際、アイヌ民族の呼称を「旧土人としました。

 

そして同化政策が施行されました。

同化政策とは、「強い民族が弱い民族の文化否定、他文化の強制を通して文化を捨てさせ、自己の文化に同化させようとする政策」です。

 

アイヌ民族に対しての同化政策とは以下のようなものでした。

 

  • アイヌ語の禁止
  • 女性の刺青・男性の耳飾りの禁止
  • サケ漁やシカ猟、イオマンテ(儀式)の禁止
  • 樹木の伐採の禁止(チセ(家)作成の実際上の禁止)
  • 特設アイヌ学校にて、日本語、生活風習の教育
  • 和人風の創氏の強制

 

アイヌ民族固有の文化を「野蛮」とし、学校で日本語、日本の風習を教え、日本風の氏名を強制しました。

 

また1899年、「北海道旧土人保護法」が制定されます。

これは狩猟・漁業・採集を禁じられ、経済的に困窮したアイヌ民族に土地を与えるものでした。しかし与えられたのは痩せた土地で開墾に失敗するアイヌ民族も多くアイヌ民族は困窮したままでした。

 

2.大正時代 同化思想の仲間意識「ウタリ」

1910年~20年代、日本で大正デモクラシー(民主主義運動)が起こり、北海道でもアイヌ民族によるアイヌ民族復権を求める動きが高まりました。

アイヌの物語を遺したアイヌの少女知里幸惠(1903~1922)をきっかけに、1930年に北海道アイヌ協会が作られ、「北海道旧土人保護法」の改正が叫ばれました。

 

が、1920年代後半ごろから、和人の公文書にアイヌ民族を表す「ウタリ」という呼称がでてきます。(※3)

 

ウタリとは「同族」というアイヌ語です。

 

同化政策を推進していた和人たちが、アイヌ民族の「同族」という呼称を拝借して使ったのでした。

 

しかし現実的にはアイヌ民族への圧倒的な差別があり、和人とアイヌ民族は同族と言える状態では(全く)ありませんでした。

仲間意識「だけ」ある状態でした。

 

また当時の北海道では「アイヌ」ということば自体に強烈な差別感情が付属してしまい、和人の中でも問題視されていました。

そこでアイヌではなく別な名(ウタリ)で呼んではどうかと議論されていました。

現実の差別については対策は取れていなかったようです。

 

3.昭和時代 「皇民の兵士」からの単一民族発言「いない。」

昭和、そして第二次世界大戦後もアイヌ民族への差別は続きました。

 

大正~昭和のアイヌ民族歌人違星北斗の昭和2年の短歌では、根深い差別を描き出しています。

 

アイヌッ!とただ一言が何よりの侮辱となって燃える憤怒だ」

 

違星北斗違星北斗歌集 アイヌと云ふ新しくよい概念を』株式会社KADOKAWA より引用

 

 

そして日本政府は第二次世界大戦中、アイヌ民族(特に青年)を「皇民の兵士」と呼びます。

もちろん徴兵のためです。和人はアイヌ民族を「真に和人の一翼」と激励しました。

しかし戦後の農地改革法のアイヌ給与地に対する適用ではアイヌ民族の要求が通ることはありませんでした。

 

 

そして時代は下り、1986年。

当時の日本の首相が以下の発言をしました。

「日本は単一民族国家であり、差別を受けている少数民族はいない」

 

存在を無視されたアイヌ民族は抗議の声を上げ、国内および国際社会に状況を訴える活動が行われました。

 

そして2008年、日本の国会にて「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」が採択されました(※4)。

 

 

 

 

 

本エントリーの冒頭に書いた言葉は、この150年近くにわたり、アイヌ民族が日本から受けてきたメッセージです。

 

「あなたは、野蛮ですね(アイヌを捨てなさい、従いなさい)。

あなたは、仕事ができませんね(今までやってきた狩猟や漁業はやらせません、不得意でも不利でも別な仕事をやりなさい)。

あなたは、仲間ですよね(差別はするけど→徴兵のためだけど)。

あなたは・・・

いたっけ?(行政からの忘却)

 

 

和人は都合により、アイヌ民族アイヌと呼び戦い、旧土人と呼び支配し、差別があってもウタリ(仲間)と呼び、徴兵のために皇民の兵士と呼び、最後には存在を無視しました。

 

もともとある名前をその時の和人の都合で変えられ、ついには存在すら消されたアイヌ民族の呼称の歴史。

 

他民族の呼び方を変えることは、他民族への対応や存在の捉え方を都合よく変える宣言でした。

 

 

3.まとめにかえて、パッシングと原作21巻に見る善意の同化思想とその拒否

 

このエントリーでは、アイヌ民族全体の和人からの呼び名の歴史と、それに伴う扱いの変化を見ていきました。

 

上記歴史はアイヌ民族全体のことでしたが、個人としては「パッシング」(※5)という概念があります。

パッシングとは、マイノリティ自らが迫害から逃れるために素性を隠し、マジョリティとして生活することです。

 

 

ここで創作の話に戻ります。

アイヌ民族である『ゴールデンカムイ』のアシㇼパさんを主人公とした二次創作をする際、

「現代を舞台にしたいけれど、アシㇼパさんにのびのび過ごしてほしいから和名にしよう」

そう表現することは、和人にとっては善意であれ同化思想であり、アイヌ民族にとってはパッシングです。

 

同化、そしてパッシングを良しとする創作は、つまり差別を肯定する創作です。

歴史から鑑み、アイヌ民族への差別を是正するつもりはなく、アイヌ民族に文化を捨ててもらい、和人に同化・迎合させ、その存在を消すことで周囲の平和を保つ」メッセージを帯びます。

現実に辛い歴史を持ち、また現在も素性を隠して過ごす多くのアイヌ民族の人に対して侮蔑的な表現となり得るのです。

 

もちろん創作を離れた現実を生きるアイヌ民族の和名使用は、個人としての都合、思想、思い入れなどが尊重されるべきです。

しかしこと二次創作で言えば、

 

「よりにもよって和人がやっちゃダメだろう」

 

これに尽きるかなと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

なお同化のイメージについて、実は『ゴールデンカムイ』21巻に見ることができます。

 

ゴールデンカムイ』の物語のキーである「莫大な黄金の隠し場所の暗号」を唯一知るのが、「アイヌの愛娘」アシㇼパです。

 

主人公である杉元は、アシㇼパを鶴見中尉(離反軍人による北海道植民地化を企てている)との戦いの場から引き離そうとします。

 

野田サトルゴールデンカムイ』21巻 集英社 より引用

 

一方、鶴見中尉は甘言を用いてアシㇼパを捕獲、幽閉しようとしています。

 

野田サトルゴールデンカムイ』21巻 集英社 より引用

 

杉元は黄金を鶴見中尉に譲り、少女であるアシㇼパに安全な場所で楽しく暮らしてもらいたいと願っています。

これは善意です。

鶴見中尉は過去に遺恨のある男の娘であるアシㇼパへの個人的な感情、そして北海道植民地化のために殺さず手元に置こうとしています。

これは悪意です。

 

しかしながらアイヌ民族の立場で言えば、杉元(善意)であれ、鶴見(悪意)であれ、和人に従い、黄金を差し出せば生かして「もらえる」ということです。

 

 

が、アシㇼパは、鶴見中尉と敵対、「杉元と共に黄金を自らが探す」という選択をします。

黄金の行方はアシㇼパの自由意思で決定されたのです。

 

 

筆者は、『ゴールデンカムイ』の最終回の政治的な表現について納得はしていません。

最終回はあまりに性急であり、説明も不足していると感じています。このあと加筆・修正したバージョンで単行本発売がされることを待っています。

 

しかし、この21巻の杉元とアシㇼパさんの関係性について、これに関しては「和人がアイヌの意思を尊重し、伴走した」メッセージとして受け取っています。

 

2008年に閣議決定された通り、アイヌ民族は和人とは別民族です(もちろん、それ以前もずっと別の民族でしたが)。

別民族として認め、助け、助けられ、別々な存在として尊重し合う。

その名前、文化、そして意思を、互いに尊重し合う。

それが民族と民族の正しい共存の仕方ですし、『ゴールデンカムイ』が描くことを期待された「かっこいいアイヌ」ではないでしょうか。

 

 

それでは結びにかえて、「アイヌの愛娘」アシㇼパさんの決意の言葉を引用させていただきます。

 

野田サトルゴールデンカムイ』21巻 集英社 より引用

 

 

by中山今2022/6/9

 

 

・・・・と、かっこよく終わりたいところですが、残念ながら現実はそうかっこ良くは終われません。

現実に差別は存在しているし、当事者は困っています。

というわけで、『ゴールデンカムイ』が好きだったならなおさら、アイヌ民族を知りましょう!

本エントリーでも紹介しましたが、「しれっとないことにされる」のってめっちゃヤバいです。プライド的にもそうですけど、存在がないことにされると行政とかのルートがなくなるんですよ。

個人的な話で恐縮ですが、私、子どもが保育園落ちたのになぜか行政的にカウントされず(なぜッ!?)「ウチの区は待機児童ゼロなので二次募集はありません」って言われて役所で無言になりましたもん。消されると何もできないんです!!

 

えーとにかく、アイヌ民族を知り周知することは「現実の民族をエンタメとして消費した」ファンダム(含む私)の責任だと思いますです。

 

↓やっぱりこちらがオススメ!野田先生の読み切り(杉・白・アシㇼパのアイヌ話だよ)も付いてるのでぜひどうぞ!

www.amazon.co.jp

 

 

 

参考資料

 

 

※1

(echoes『【2022年1月更新!】データからみるTwitterユーザー実態まとめ』20220605閲覧 より引用)

https://service.aainc.co.jp/product/echoes/voices/0014

 

※2

榎森 進 (著)『アイヌ民族の歴史』 草風館 2007年 P17

 

※3

小川, 正人

アイヌ教育制度」の廃止 : 「旧土人児童教育規程」廃止と1937年「北海道旧土人保護法」改正

北海道大學教育學部紀要, 61, 37-79

公開日1993-06

閲覧日2022/06/07

閲覧P67

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/29404/1/61_P37-79.pdf

 

 

※4

アイヌ民族先住民族とすることを求める決議案(第一六九回国会、決議第一号)

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/ketsugian/g16913001.htm#:~:text=%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B%E6%B1%BA%E8%AD%B0%E6%A1%88-,%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B,%E3%81%AB%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

閲覧日2022/06/08

 

※5

チョロの台頭にみるインディオアイデンティティ
弁証法

著者 吉田 栄人
雑誌名 人文論集
巻 44
号 1
ページ A37-A62
発行年 1993-07-30
出版者 静岡大学人文学部
URL http://doi.org/10.14945/00008904

 

 

 

ほか参考資料


・中川 裕 (監修) 『アイヌ文化の大研究 歴史、暮らし、言葉を知ろう』 (楽しい調べ学習シリーズ) PHP研究所 2018/12/6

 

・榎森 進 (著)『アイヌ民族の歴史』 草風館 2007年

 

・東村 岳史 (著)『戦後期アイヌ民族‐和人関係史序説―1940年代後半から1960年代後半まで』三元社 2006年

 

・新谷 行 (著)『アイヌ民族抵抗史』河出書房新社 2015年

 

・    西川博史 (著)『日本占領と軍政活動―占領軍は北海道で何をしたか』現代史料出版 2007年

 

・ 濱口 裕介 (著), 横島 公司 (著)『松前藩 (シリーズ藩物語) 』現代書館 2016年

 

 

日本文化の特殊性、普遍性―比較文化論の立場から

著者 別府 春海
雑誌名 日本研究・京都会議 KYOTO CONFERENCE ON
JAPANESE STUDIES 1994 ?
巻 .non01-01
ページ 345-354
発行年 1996-03-25
その他のタイトル Nihon bunka no tokushusei, fuhensei: Hikaku
bunka ron no tachiba kara
URL http://doi.org/10.15055/00003479

 

 

 

 

 

『ゴールデンカムイ』(史実の補足が必要な漫画)にお願いしたい、『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の巻末解説のご紹介

 

こんにちは、もうすぐ30巻が発売されますね(5/21現在)!

 

なにって『ゴールデンカムイ』のことです。連載時からの加筆は確実。急ぎ足で駆け抜けていった感もあるので、いろんな箇所が加筆・改変されることだろうと思ってワクワクしています。谷垣源次郎の胸毛とか。

 

さて、それはそれとして。

 

一方で、Twitterで話題になっている件も忘れてはいけません。

 

「『ゴールデンカムイ』の史実の描き方や確認方法について」です。

 

以前に↓のようなブログを書いたんですけども。

この時は、「監修の中川先生の本を900円くらいで買ってみてとりあえず読んでみたらいいんじゃ(野田先生の描き下ろし漫画もあるし)」というスタンスでした。(そしてこのスタンス自体はいいモンだと思っています)

 

ima-nakayama.hatenadiary.com

 

でも、最近になってあ~ッ!と思ったんです。

 

多民族、多宗教でコンテンツ作りまくってる国の感じを真似したらイイ感じなんじゃないの・・・・!?と・・・。

 

そこで本日はその参考としてKKK(白人至上主義者)をテーマにしたアメコミ『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の社会情勢解説ページをご紹介したいと思います。

 

このエントリーは下記のように進行します。

 

  1. 『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の内容や社会的評価、モチーフの敵について
  2. 『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の巻末情報解説の紹介
  3. 巻末情報があることによるメリットの分析(Ms.マーベルのギャグも参照しながら)

 

ねえどうかしら。こんなのが『ゴールデンカムイ』の巻末についてたらいい感じじゃないかしらッ?っていう。

 

 

1.『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の内容や社会的評価、モチーフの敵について

 

 

まずは『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』ってなに?というところから解説しますね。

 

ジーン・ルエン・ヤン (著), グリヒル (イラスト),吉川 悠  (翻訳)『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』小学館集英社プロダクション 2020年 より引用

 

作品名:『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』

著者:ジーン・ルエン・ヤン (著), グリヒル (イラスト),吉川 悠  (翻訳)

出版社:小学館集英社プロダクション(邦訳)/DC Comics(原著)

 

【あらすじ】

 

舞台は1940年代。チャイナタウンからメトロポリスに引っ越してきたティーンエージャーの兄妹 ロベルタ・リーとトミー・リー。 なんと新居の近所に住むのは、あの有名なヒーロー“スーパーマン"だった!ある夜をきっかけに、二人はスーパーマンと秘密結社クランの戦いに巻き込まれてしまう。 ロベルタとトミーはスーパーマンを助け、この戦いに勝利することができるのか?

 

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3-ShoPro-Books-DC-COLLECTION/dp/4796878181#detailBullets_feature_div

Amazon商品ページ 閲覧日2022/5/20 より引用

 

 

【社会的評価】

2020年ハーベイ賞ヤングアダルト部門受賞

 

なおこの作品のライター(原作者)ジーン・ルエン・ヤンはコミック原作者であると同時に「米国議会図書館が選ぶ第5代目児童文学大使」でもあります。エンターテインメントのモラルについては信頼を寄せて良さそうです。

 

↓米国議会が選ぶ~~とは以下のような役職。

児童文学大使は、生涯にわたる識字能力、教育、生活の発展と向上における、子どもの本の重要性を示す目的で、2008年に創設された。

国立国会図書館国際子ども図書館ウェブサイト https://www.kodomo.go.jp/info/child/2020/2020-021.html 2022年5月20日閲覧 より引用)

 

 

 

さて、あらすじ中の「秘密結社クラン」とは現実の白人至上主義者集団「クー・クラックス・クラン」をモデルとしています。

KKK」と聞いたらピンと来る人もいるのでは。または↓の写真とかを見ると、ドラマや漫画で見たことのある人もいるかもしれません(以下「KKK」と表記します)。

 

↓こんなの・・・怖ァい!

クー・クラックス・クラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia) 2022年5月20日 18:07

ja.wikipedia.org

 

 

 

でも、なんとなくは知っていても実際に「KKKは具体的になにをして、何が悪かったのか」というところまで詳しく知っている人は多くはないと思います。

 

そのあたりも『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の巻末にて解説されています。

 

ざっくりと概要をまとめてご紹介したいと思います。

 

 

2.『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の巻末情報解説の紹介

 

では、今回のエントリーのメイン「巻末情報」のご紹介に移りますね。

 

 

スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』は本編終了後のコミックス巻末、P228~P239が解説文となっています。

解説文の筆者は原作であるジーン・ルエン・ヤン。

彼は中華系アメリカ人であり、アメリカ社会ではマイノリティです。

その彼の視点から以下の3つについて解説されています。

 

  1. KKKの歴史
  2. ジーン・ルエン・ヤン自身のマイノリティとしての実感
  3. コンテンツがKKKに与えた影響

ジーン・ルエン・ヤン (著), グリヒル (イラスト)吉川 悠 (翻訳)『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』小学館集英社プロダクション 2020年 より引用

 

ひとつづつ紹介していきます。

 

1.KKKの歴史

 

1865年の1月、激しい南北戦争も終わりに近づいたころ、合衆国連邦政府憲法修正第13条を通過させ、犯罪者への罰を覗いて奴隷制度を排した。

同年、テネシー州である集団が集まり、これが最初のクー・クラックス・クランの集会となる。~(中略)~クランはテネシー州だけでなく南部全体で、アフリカ系アメリカ人や彼らに味方する白人を脅かした。脅迫を送り、教会を焼き払い、数えきれない人々を殺した。

 

ジーン・ルエン・ヤン (著), グリヒル (イラスト)吉川 悠  (翻訳)『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』P229 小学館集英社プロダクション 2020年 より引用)

 

上記の通り、KKKの始まりから行いまでを端的に紹介しています。

また、その後の遍歴や社会的評価、エンターテインメントがKKKに与えた影響なども解説されています。

 

2.ジーン・ルエン・ヤン自身のマイノリティとしての実感

 

彼の名前はダニーということにしておこう。肩幅が広く、目の色はヘイゼルで、スポーツが得意だ。~(中略)~「G.Iジョーっていいよな!ハイタッチしようぜ!」と彼は手をあげてきた。

僕が手を伸ばすや否や、彼はその手を引っ込めた。

 

「俺が○○○に触るわけねえだろ」ダニーのいった言葉は「臭い(stink)」と韻を踏む単語とだけ言っておこう。

ジーン・ルエン・ヤン (著), グリヒル (イラスト)吉川 悠  (翻訳)『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』P230 小学館集英社プロダクション 2020年 より引用)

 

こうした個人的なマイノリティの差別実感のほか、アメリカにおける有色人種全体への差別の歴史、また戦争の都合上、一時的に中国人の扱いが「盟友扱い」になった歴史や経緯について解説しています。

 

3.コンテンツがKKKに与えた影響

 

1916年、『国民の創生(The Birth of a Nation)』という映画がアメリカ中で公開される。その中で描かれているのは、クー・クラックス・クランが頭巾とローブで素性を隠した白人至上主義者の”ヒーロー”となり、解放された奴隷たちの”脅威”から国を”守る”という内容だった~(中略)~数か月もしないうちにクー・クラックス・クラン復権した。しかも今回は、ビジネスとなっている。広告会社を雇って可能な限りの金を稼ごうとしたのだ。

 

ジーン・ルエン・ヤン (著), グリヒル (イラスト)吉川 悠  (翻訳)『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』P231~P232 小学館集英社プロダクション 2020年 より引用)

 

ほか、キャラクタースーパーマンがKKKに与えた社会的影響についても解説されています。

 

 

 

 

長文と当時の写真、個人的な写真でみっちりと解説された文章は、読み応えたっぷりの内容です。

 

ではこの解説文がもたらすメリットは何なのか。これは私の感想になりますが、所感として聞いてください。

 

3.巻末情報があることによるメリットの分析(Ms.マーベルのギャグも参照しながら)

 

このあたりは詳しい専門家がいると思うのですが、取り急ぎ筆者が思うメリットについて解説します(し、不足はあっても誤ってはいないと思います)。

 

  1. メリット1.素材とした文化の正しい知識が学べる
  2. メリット2.異文化ギャグなどの進行を損ねない
  3. メリット3.漫画がより面白くなる

 

これもひとつづつ解説していきますね。

 

メリット1.素材とした文化の正しい知識が学べる

 

これは言わずもがなですね!

例えばどんなコンテンツでも悪用・誤読・曲解はできます。

KKKとスーパーマンが戦う漫画でありながら、「いや、あれはスーパーマンKKKのヒーローとして立つ漫画なのである」みたいなことを言う輩は必ずいます。

 

例えば、正に『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の前身、1964年のラジオドラマ『アドベンチャーズ・オブ・スーパーマン』当時の懸念がそうです。

 

当時の制作責任者はユダヤアメリカ人(ユダヤ人もKKKのターゲット属性のひとつでした)で、ラジオドラマでこの題材を扱うにあたり25本もの脚本を読み通し、周到な創作を行いました。

ジーン・ルエン・ヤンは当時の責任者の心情を解説文中で推察しています。

 

リスクの多い試みだから、気を付けねばならない。話が説教くさすぎたらどうする?怖すぎたら?(中略)リスナーがエピソードの一部だけを聴いて、スーパーマンが差別を認めたように思ってしまうかもしれない。だから脚本は正しく書かれなければならなかった。

 

ジーン・ルエン・ヤン (著), グリヒル (イラスト)吉川 悠  (翻訳)『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』P236~237 小学館集英社プロダクション 2020年 より引用)

 

ラジオドラマ『アドベンチャーズ・オブ・スーパーマン』はラジオドラマなので、お話の中で誤解しないよう作る必要がありました。

そのお話を下敷きに作られている『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』も一読して誤読されないようにはできています。

 

しかし解説文が付くことにより、さらに正しい知識を与え、読者が歴史と向き合うことができます。

 

これは文化・歴史配慮として、『ゴールデンカムイ』がめちゃくちゃ求められてることだと思います。

 

メリット2.異文化ギャグなどの進行を損ねない

これは創作の上で大切なことで、異文化の紹介のために登場人物に語らせたり、モノローグを挟むモタモタ感をカットすることができます

 

例えば同じくアメコミで解説付きのマーベル社のコミックス『MSマーベル』を引用します。

 

女の子のセリフに注目してください。

 

G・ウィロー・ウィルソン (著), エイドリアン・アルフォナ (イラスト), 秋友克也 (翻訳)『Ms.マーベル:もうフツーじゃないの』2017年 ヴィレッジブックスより引用

 

「このイケないお肉ちゃん」というセリフ、これはこの物語の主人公カマラがイスラム教徒であり、イスラムの禁忌である豚肉の入ったBLTサンドを食べられないことからの自虐ギャグです。別紙の解説文にて説明があります。

 

この異文化を文中で解説するためには、それ専用の解説キャラを入れる、あるいはモノローグなどで解説する必要があります。しかしマンガの進行が重くなります。

 

例えばゴールデンカムイ』の名物チタタプ(肉をメンバーひとりひとりが叩いてミンチにする料理方法)、あれ本当は「みんなで叩く」必要はないそうです。みんなで叩くのは野田先生の創作なんですね。

 

文化を取材し踏まえ、改変して面白くすることは漫画として罪ではありません(むしろそこが面白いところ)。

 

しかし文化の誤認につながるため、できればなにか解説が欲しいです。

 

このあたりを解説文に丸投げできれば、進行を損なわずに異文化ギャグを入れることができます

これって創作にいいことだよなって。

 

 

メリット3.漫画がより面白くなる

私たちは作品の内容だけでなく「漫画の情報」も共に「読んで」います。

 

歴史背景を知ることでより作品の中の重大性を感じることができます。

 

例えば『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の敵、「秘密結社クラン」はスーパーマンに悪行を阻止されるため、作品中ではそんなに悪いようには思えません。

 

しかし解説文の本当のKKKの情報を読むと、危険度をまざまざと感じることができます。

 

カルフォルニアの歴史上、最悪のリンチ行為は1871年のロサンゼルスのチャイナタウンで起きた。(中略)この暴徒たちはクランであると明白な主張はしなかったが、行動は間違いなくクランらしかった。彼らは中国人の男性と少年たち17名から20名の首を吊って殺した。

 

ジーン・ルエン・ヤン (著), グリヒル (イラスト)吉川 悠  (翻訳)『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』P230 小学館集英社プロダクション 2020年 より引用)

 

作画のグリヒルの絵は清潔で優しく、残酷な描写は出てきません。

しかし読者がこの時代背景を知っていれば、作中の「秘密結社クラン」の危険度は(知った読者の中で)MAXに高まります。

 

ゴールデンカムイ』でも、その歴史の重みを知ればより面白くなる部分ってすごくあると思うのです。

例えば金カムでも指折りの「変態」江渡貝弥作(墓漁りをして死体から服を作っていた)は、実際のアメリカの猟奇殺人犯エド・ゲインがモデルです。エド・ゲインも「死体からランプシェードを作っていた」という事実を知ると江渡貝宅の怖さがグッと増しますよね(検索&閲覧注意!!!心臓の弱い方は検索ダメ絶対!!!)

 

まとめ~どうだろう集英社さん!巻末に解説を入れるのはどうだろう!?~

 

このエントリーでは以下の3つを解説しました。

 

  • 『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の内容とか賞の受賞、作者の社会的な安心感
  • 『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の巻末情報解説の抜粋3つ
  • 巻末情報は歴史事実もちゃんと解説できるし、物語も止めないし、より面白くなるしいいことづくめなんじゃないか

 

集英社さんどうでしょう!?『ゴールデンカムイ』に、巻末情報どうでしょう!?

 

ゴールデンカムイ』にはアイヌ文化監修として中川先生(『アイヌ文化で読み解く 「ゴールデンカムイ」』著者)がついています。

巻末にどうでしょうかっ!

 

それにより、野田先生がよりのびのびと創作もできるんじゃないかなあって思うんですよ。

 

 

 

 

それにしても『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』自体もおススメの漫画です。

今回、『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の解説文を紹介するにあたり、本当~~~~に絞った内容を引用しました。

本当はもっともっと濃い内容で、単純にKKKの歴史の勉強になります。

またお話としても、現実のマイノリティだけでなくスーパーマンであるが故のマイノリティの苦悩(スーパーマンはクリプトン星という星の人で、アメリカのシンボル的ヒーローでありながら超マイノリティです)も描いており、「孤独を感じた人」すべてに共感を呼ぶ内容になっています。

 

作画のグリヒルの絵柄は優しく、スタイリッシュなエンタメとして楽しく見ることができます。

 

ゴールデンカムイ』に巻末情報つくのもいいかもなあ・・・と思われた方、ぜひ『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』も読んでみてください。

その緻密で子細な解説文、多民族・他宗教の国で培われた配慮の形だと思うんです。

これからの日本の漫画(歴史フィクションを扱う漫画)に必要になるかもしれない。

 

 

↓このエントリーの冒頭でもご紹介しましたが、こんなエントリーも書いています。

『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の巻末情報に相当する本『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』の内容から、金カム内のアイヌ文化の誤用(演出)を取り上げてご紹介しています。よろしければどうぞ。

ima-nakayama.hatenadiary.com

 

『まじめな会社員』~不安を引き受けるヒーロー像を『へルタースケルター』を参照して確認する~

 

本日は、先日完結した『まじめな会社員』について語りたいと思います~!

 

『まじめな会社員』はコミックDAYSで連載(全22話)していた女性向け漫画で、平凡な30歳女性が劣等感や自己実現のはざまで迷いながら恋とか親の要望とかいろんなものに敗れていき、30代~40代くらいの女性に大ダメージを負わせた漫画です。

 

しかしながら最終回を見た後、私的には「あみこ(主人公)、お前ヒーローだぜ・・・!」と思ったため、なんでそう思ったのかを書き残しておこうと思います。

 

一番のキモが最終回のため、ネタバレもしますし多分読まないとわかんないです。なので未読の方、よければ↓から読んできてくださいね!

[http://:title]

 

 

で、あみこのヒーローぶりを語るために1996年完結の漫画、岡崎京子の『へルタースケルター』を参照しようと思います。

 

[http://:title]

 

『へルタースケルター』はド派手で退廃的なスキャンダラスエンタメで『まじめな会社員』とはぜんっぜんジャンルが異なりますが、実は「田舎から出てきて自己実現しようとした女性の話」という共通点があったりします。

 

不安を抱えて日常を生きることは勇気がいるんだって、私思うんですよ・・・

 

(敬語ここで終わり)

 

 

・序文~綿密に描きこまれた不安と、その日常を選択する勇気

『まじめな会社員』は、不安という強大な負の感情と共に歩む決意を固めたヒーローの話である。

 

人間は不安に弱い。

 

不安をあおることで成り立つ商売(健康不安、社会不安、対人不安など)がそれを逆説的に証明している。

 

不安と共に歩むくらいなら、なんならいっそ死んでしまった方が楽なくらい、人は不安に弱い。

 

しかし漫画『まじめな会社員』は、全編にわたり丹念に不安を語りながら、最後にはその不安と共に歩む決意を固める。

 

それはものすごく強いことに見える、それゆえに私は『まじめな会社員』をヒーローの漫画だと思っている。

 

このエントリーでは以下のように『まじめな会社員』のヒーローたる旨を解説する。

  1. 『まじめな会社員』のお話の中から不安をかもす具体的なイメージを紹介する
  2. 不安と共に歩む困難を漫画『へルタースケルター』と比較する

 

 

 

・本論(情報)~『まじめな会社員』のお話の中から不安をかもす具体的なイメージを紹介する

それでは『まじめな会社員』が与える「不安」について、改めて連載内容を参照、そこから得られる感想を書きたい。

 

まずは主人公の客観的データの紹介をする。

 

主人公・あみこは東京で独り暮らし。30歳契約社員だ。

 

マッチングアプリで彼氏探しをするものの、一年やってできてない。というか彼氏はもう5年いない。

勇気を出して読書会に参加してみて、そこで出会った人に恋をしても手ひどくフラれる。

 

自分の好きなことを探して「野良ライター」になったり、頑張って業界のヒトと出会って相手にされなかったりする。

 

客観的な事実も不安を感じさせるものだが、あみこ自身の自己評価も常に不安に揺れ動く。

 

契約社員として勤務している会社では、女性社員同士のヒエラルキーを脳内で描いて自分を貶めている。

また華やかな業界で成功(あみこ目線で)している女性に対して劣等感を抱き、それとは逆に幸せな家庭生活、安定的な就業をしている女性にもまた劣等感を感じる。

 

あみこは自分が好きではない。また自信もない。

お金もないので勉強にコストをかけることもできないし、そのため自分がやってみたいライター職も独学の手探り状態で分け入ることになる。すなわち業界での立ち位置も手探りだ(そのためギョーカイ人から鼻で笑われたりする)。

 

 

あみこは東京で暮らす30歳女性としてありふれたキャラクターである。ありふれているということは感情移入もしやすいということだ。

感情移入したキャラクターが尊敬する相手からやんわりと無視されたり、軽く扱われたりする。読者はあみこの辛さを疑似体験する。

 

あみこ(=読者)は学んでしまう、高望みして意識高い系グループに混ざらなければいいのか?野良ライターごときが業界の人と話さなければいいのか?しかしそれでは自己実現は成らない・・・どうしたら・・・

体当たりで恥をかきにいくあみこをハラハラして追いかける読者に、20話で絶望的な展開が待っている。

 

自己成長を求め続けていたあみこが地元に引っ込み、たった一言の「3年後」というモノローグで地元に根をおろしてしまうのである。

 

地元には「結婚はまだか」とばかり言う折り合いの悪い両親、文化や自己実現から隔離された保守的な社会構造があり、そこであみこはひっつめ髪で二重あごになるまで太っていく。

 

読者の不安は最高潮だ。

東京で背伸びして恥をかきたくない。

しかし地元に帰って閉じこもるのも恐ろしい。

結婚する友達も、華やかな業界人も、ますます自分を置いていく。

東京にいても不安、地元に帰っても不安。

「コレをすれば人生上手くいく」というような甘い信仰も無ければ「助けてくれる彼」などの救世主もいない。

 

しかし最終話、あみこの最後の選択は「安定した地元でのパート勤めを捨て、ライターになれる保証もなく再度上京する」というものであった。

 

「くそくらえ だったら私は自分で選んだ地獄に行く」

(冬野梅子『まじめな会社員』最終話 講談社より引用)

 

 

あみこは、地元の不安ではなく東京の不安を選ぶ。

 

 

・本論(考察)~不安と共に歩む困難を漫画『へルタースケルター』と比較する

 

不安は恐ろしい。

 

はっきり言って、いつでも張り付いてくる不安を相手にするくらいなら、死んじゃったほうが楽でカッコいいのだ。

 

ここで漫画『へルタースケルター』を紹介したい。

上京した女が不安に押しつぶされてすべてを壊し、引き換えに精神の安定を得た漫画としてだ。

 

1996年に完結した『へルタースケルター』は、全身整形してスターダムにのし上がった女性が地方から上京してきた醜い女であることが知れ、人生ごと堕ちていくスキャンダラスで退廃的なファンタジーである。

『へルタースケルター』は主人公りりこがすでに整形を完了し、タレントとしての絶頂時からスタートする。

りりこは美しい。しかしタレントとしての実力がない。整形の美しさは薬がないと崩れていく。

そのためいつでもスターダムを追われる不安を抱え、薬やセックス、マネージャーとの支配関係に依存してなんとか自我を保っている。

 

まだバブルの残り香のあった時代で、カネと虚像の世界の華やかな毒々しさと空虚なロマンがある。

 

りりこは破滅的で、それゆえ魅力的である。

 

全身整形の後遺症で常に全身への痛みを訴え、薬物依存でろくに食事も摂らない。

薬に浸り人間関係をさんざんに破壊し、スキャンダルでいよいよ差し迫ったら自らの片目を抉り出して日本から逃亡。最後にはメキシコでフリークスショウ(奇怪な人間や動物の見世物)に出演している。

 

スターダムでは人々の美への願望を映す空っぽの人形(象徴=アイドル)として、メキシコではもはや人であることを忘れた美しい怪物として、りりこは生まれも育ちも、未来も捨てる。

 

世俗から離れたりりこに怖いものはない。『へルタースケルター』は人ならざる者になったりりこが自我を失ったような、蠱惑的なような笑みを浮かべて幕が下りる。

 

物理的に言って、薬物に侵されたりりこはこの後死ぬだろう。

社会的にも死んだも同然だ。

しかし死ぬことは、もう不安に煩わされないことだ。

りりこは自らの体を含め、関わった者を手ひどく傷つけるほどスターダムに執着したけれど、すべてを失えばそれで終わり。もう怖いことなどない。

 

 

さて、それでは現代モノの漫画『まじめな会社員』の話に戻る。

『まじめな会社員』では、一気呵成に死んでしまうことは許されていない。

 

「安定した地元でのパート勤めを捨て、ライターとして再度上京する」ことを選んだあみこは、この後もずっと不安と共に生きることになることが予想される。

 

あみこがこの後華やかな成功を成し遂げるとは思えない。(あみこに突出した能力がないことは22話中で何回も何回も繰り返し描かれている)

 

とはいえ決意を固めたあみこがなんらかの自己実現をしそうな予感もある。

 

このどっちつかずの結末はつまり『まじめな会社員』本編の不安が継続していると言える。

 

不安と日常的に付き合うことは、耐え難いほど恐ろしい。

 

『へルタースケルター』のりりこが耐えられずクスリに頼ったり、ストレスから人間関係を破壊するほどには恐ろしい。忘れさせてほしい、この辛さと向き合うくらいなら壊れたい、逃げたいと願い、人ならざる者になってようやく微笑むことができるほどには恐ろしい。

 

そういった破滅的な欲望をあみこは持たない。人間関係も細々と維持し、確約のない不安な毎日を送る。老後のことも考える。

 

明日も、明後日も、きっと目を覚ました時に不安を思い出す。

 

それは恐ろしいことであるのに、あみこはそれを引き受けた。

「不安と共に生きていく決意をしたこと」

耐え難い苦痛を伴う運命を引き受けたこと、これがあみこがヒーローであると思う理由だ。

 

 

・結論~不安を引き受け、自分を救うヒーロー

 

(敬語に戻ります)

 

このエントリーでは以下から『まじめな会社員』のあみこが強いな・・・と思う理由をお伝えしました。

  • 『まじめな会社員』の、不安の具体例
  • 『へルタースケルター』の不安への恐怖と比較して『まじめな会社員』が不安と共生を選んだ強さ

 

 

『へルタースケルター』のりりこがヒトであることを捨てて自らの気持ちを救ったのに対し、あみこは不安を引き受け、揺れ動くコンプレックスからせめて自己決定の誇りを以て自分を救ったのだと思っています。

 

あみこがこの後成功するかは誰にもわかりません。

しかし、あみこが自分の行動を自分で決めたことだけは誇れる事実であり、その誇りが自分を救うのです。

ヒーローが誰かを救うことを目的とするなら、あみこは自分自身のヒーローです。

自分を救うヒーロー、憧れません?

必死な性も楽しむ性もどんどん増えろ!女ノ性にがっぷり取り組む個人発漫画2本~『寂しすぎてレズ風俗へ行きましたレポ』『T子の一発旅行』

  1. 女の子のセックスに前向きで、
  2. 個人発表のネット上で人気が出て
  3. 女の子の描いてる漫画

 

ってな~んだ?

 

答えは2作。

『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』『T子の一発旅行』です。

 

上記3つの条件では合致している2作ですが、内容や読み口はまっったく、真逆と言っていいくらい異なります。

 

でも、女の子のセックスに前向きで個人発表のネット上で人気が出て女の子が描いてるんです。これは間違いないんです。

 

今回はその2作の紹介と、そして上記に挙げた3つの条件について深掘りしてみようと思います。

 

この3条件を満たす漫画、私はもっと増えてくれればいいなあって思うんですよ。

 

以下の項目でご紹介したいと思います。

 

1.『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』の紹介

2.『T子の一発旅行』の紹介

3.増えてほしい漫画の3つの条件について深掘り。性は生だし、商業を出し抜いてほしいし、当事者であってほしい。

4.まとめ。世界よ!もっとあけすけに女の子の性を語れ!

 

1.『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』の紹介

 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』イースト・プレス 2016年

作者:永田カビ

出版社:イースト・プレス

漫画の発行日:2016/6/23

 

 

あらすじ:

28歳で鬱・ニート摂食障害自傷癖アリの「なにものでもない女性」永田カビ。

動かないからだ、恵まれない家族から死を予感した時、彼女が現実へのカウンターとして選んだ手段は「レズ風俗に行くこと」だった・・・!

 

感想:

基本的に1ページ4コマ固定で綴られるエッセイ風漫画。

フィクションではありますが、タイトルに「レポ」ともありエッセイの様相を呈しています。

作中登場人物「永田カビ」のままならない人生が余すところなく綴られ、家族の様子を見ても「こりゃあ毒親だわ~」と納得する、痛々しい思いが延々と吐露されます。

それほどまでに痛々しいのになぜかサラッとした読み口。かわいくもオールドなセンスの2色刷りの絵が爽やかな、性にすがって生き直す女性のお話です。

 

 

↓ラストページ。激烈な孤独と痛みをページに吐き出しながら、最後はぱんつで〆る、独特のユーモアが見る者を救う

永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』イースト・プレス 2016年

 

 

2.『T子の一発旅行』の紹介

 

T子の一発旅行

穀子『T子の一発旅行』祥伝社 2022

作者:穀子

出版社:祥伝社

漫画の発行日:2022/5/7

 

あらすじ:

あまり在る性欲を持つ台湾在住の美術系学生・T子。
お隣の国・日本で解放感のある東洋系ワンナイトラブを目指して初の海外旅行へGO!

 

感想:

エッセイ風でありながらエロ漫画。

エッセイ風に読めてしまうのは、あくまで普通の女の子T子と日本男子の下半身事情のリアリティあってこそ。

しかし犯罪の危険のなさやT子のプロポーションなど、フィクションとして夢を見るのに十分な性ファンタジーです。

1ミリの躊躇もなくセックスを狙うのに、コトの最中に男子が飼っている猫に監視されて萎える・・・いや「乾いて」しまうなど、女性主体のエロを存分に楽しむT子の明るさに笑う痛快な物語。

文化ギャップを楽しむ旅モノとしても面白い。

 

穀子『T子の一発旅行』祥伝社 2022

 

3.増えてほしい漫画の3つの条件について深掘り。性は生だし、商業を出し抜いてほしいし、当事者であってほしい。

 

それでは、今回ピックアップした2作品が持つ「増えてほしい漫画の3つの条件」って何の話?を解説したいと思います。

 

改めて3つの条件とは↓

 

  1. 女の子のセックスに前向きで、
  2. 個人発表のネット上で人気が出て
  3. 女の子の描いてる漫画

 

ひとつずつ解説します。

 

まず「女の子のセックスに前向き」

 

これはもうそのままですね!女の子はもっとセックスを語るべきです!!!

 

と言いますのも、漫画創作において女子の性欲を歪めて見ちゃうこと、結構もう読みづらくなってきてるなって思って。

 

日本漫画において女子のセックスを漫画に出す時、いくつかの条件付けが必要です。

 

  • 女子の性欲がないパターン→性欲がないので男性(相手)が主導する
  • 女子の性欲が異常パターン→どこでもどんな時でもオールOK!
  • 世界設定そのものがエロに満ちているパターン→エロは日常なのであって普通だよね

 

でも全部嘘じゃん!!

 

 

誰かが無理やりヤってこないとできないとか、状況としてヤってる場合じゃないのにあえてヤるとか、世界がエロに満ち満ちているとか、そういうの嘘じゃないですか。

 

青春の通過点としての自発的だがおどおどしたセックスとか、普段使いのセックスを語っていかないと、そろそろ目が滑っちゃうなって思ってたんですよ。ちょうど。

 

『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』では、そもそも生きることそのものに罪悪感を感じている様子がうかがえますし、レズ風俗に行ったのも依存先を家族から性に置き換えただけかもしれません。

しかしセックスシーンに関しては罪悪感より好奇心と渇望が勝っており、人生の通過点として性を通っていました(この後、永田カビ先生はアルコール依存症になるのですがそれはまた別な話です・・・)

 

『T子の一発旅行』では、性へのてらい、後ろめたさもないし、世界はエロを中心に回っていません。ただT子だけが自発的にエロい世界で、T子はニコニコとセックスを謳歌します。

 

両作品ともがっちりエロシーンはあるし、明らかにエロを煽るコマ割りや演出が施されています。

しかしどちらも、誰かに引き出されたエロや、物語の都合上のサービスエロではありません。キャラクターたちが望んで欲したエロです。

 

 

それから「個人発表のネット上で人気」

これ、別に人気であることだけがイイと思っているわけじゃなくて、

 

個人発表のネット上で人気が出たってことは、商業ラインでまだ未着手な物語の系統で、かつニーズがあった物語系統だと思うんです。

 

だって売れる類型を見つけたら、わあー--っと商業で作られるはずですもの。そして作られていたら話題になるはずです。みんな読みたいのですから。

 

商業サイドが売れないと思って未着手なのか、扱いが難しいと思って未着手なのかは分かりません。

 

しかし個人作、個人編集の作品が売れ筋の商業ラインより読者の心をとらえることって、すごく時代を読んでるし、出るべくして出た作品だなって嬉しくなるんです。

 

『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』はピクシブ発で単行本の出版、さらに英訳されアメリカのコミック賞「ハーベイ賞」を受賞しています(ムチャクチャでかい賞ですよ!)。

『T子の一発旅行』はそもそも台湾のネット発であり、人気ぶりと台湾漫画の輸入ブームが相まって邦訳されて発売された漫画。

 

個人発、求められていた漫画。これって増えてほしいじゃないですか?

 

 

また3つ目の条件「女の子の描いてる漫画」は、圧倒的な当事者意識(=共感)です。

 

私たち読者は否応なく作品の持つ情報も読んでいます。つまり「誰が描いたか」も、漫画の付加価値として無視することはできません。

 

私たちはキャラクターと世界に作者情報を重ね、そこから自分の共感をより強める営みをします。

 

平たく言うと「女性の性は女性が描いている(と思った)方が共感できる」ということです。

 

ずいぶん冷たい言い方になってしまいましたが、女性が差別や抑圧への開放への連帯の気持ちを持てるのは、やはりキャラクターではなく作者、現実の人間の方が強いのは事実です。

 

素晴らしい女性賛歌を男性が描いてるんだあ、と思うより、生っぽくてしょうもない性を女性が描いてくれてるんだ~と思う方が感情移入できるってもんです。

 

個人発の漫画ならなおさら、売れ筋ラインや世論を気にすることなく、生身の魂をぶつけてくれたと思えてうれしい。

 

 

 

『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』も『T子の一発旅行』も作者は女性です。

もちろん、性別を偽ったりすることは可能なんですけどもね。でもそこは信じて、性というデッカイ個性からの慟哭や、朗らかな礼賛を共に楽しもうじゃあないですか。

 

 

 

4.まとめ。世界よ!もっとあけすけに女の子の性を語れ!

 

今回のエントリーでは、以下のことを解説しました。

 

  1. 『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』作品概要・感想
  2. 『T子の一発旅行』作品概要・感想
  3. 2つの作品の共通点と、その良さ

 

いやあ、『さびしすぎて~』を読んだ時も、『T子の一発旅行』を読んだ時も、双方衝撃だったんですよ。

エロっていいもんだねえ!と・・・

 

 

今、女性向けエロは扱いが難しいと思っています。

 

主体性のあるエロ表現は都合よく解釈され、女性蔑視の視点に転換されてしまうことすらあります。(例えばこの記事を読んで「女性はやっぱりエロが好き!ナンパもガンガンしよう!」とか発想する一部の方とかですね。ちなみにそういうのはT子が容赦なく即ブロします)

 

また商業の女性向けエロ漫画も、男性編集者の売れ筋目線を通して作られることも多いと聞きます。完全な女性主体のエロ漫画ってあるのかなあ・・・というのは思っていたのです。

 

そんな中、個人発信のエロが読者の心を深くとらえて、ネット上の海から単行本が発売される。

ドリ~~~ムだなあって嬉しく思います!

 

こんな漫画がたくさん増えてほしい。

エロはあけすけに語れ!個人は出版社を出し抜け!私たちは連帯せよ!

 

次にこのエントリーに加える漫画は何になるでしょう?楽しみです!

文化的事実を知ることと一般読者の関係~ゴールデンカムイのアイヌ誤用3つ添え~

ゴールデンカムイの話がTwitterで議論を呼んでますね。

 

大変ヨイことですよ!

私のようなね、ゴールデンカムイ大好きっ子で特に月島はこの後も闇を抱えて昏い海をさらって生きていてほしいと望むような(薄暗い願望)人類としてはね、このように議論を呼ぶことは大変喜ばしいことです。

 

ただ、「現実の少数民族への関わり方」でお悩みの方もいらっしゃるんじゃないかなあとは思うんですよね。そういう漫画ですから。

 

私は美術史・美術批評を学ぶ学生です。

 

そのあたりの見解から、どのようなスタンスで関わっていこうかな、という自己表明をしたいと思います。

 

こんな関わり方をしようとしている人もいるよ、という参考になれば。

以下のように章立てて解説していこうと思います。

 

1.一般読者は知ればいい。知ることは疑問と是正につながるのだから。

2.でも、漫画から現実を知ることはできないので。ゴールデンカムイアイヌ誤用3つをご紹介。

 

アイヌ語について、機種依存文字になってしまうため小文字等の表記ができていません。ご了承くださいませ。。

 

1.一般読者は知ればいい。知ることは疑問と是正につながるのだから。

 

ゴールデンカムイを読んだら、アイヌの差別に対して何らかのアクションをしなければならないのか?

ひょっとしたら、そんな不安を持つ人もいるのかもしれません。

 

私はここに「一般読者はそこまでしなくても良い」という見解を持っています。

 

アイヌ差別があることはぼんやり知っているが、なんかデモに参加したり、何らかしらの抗議運動に参加しないといけないの・・・?」

 

漫画読者にそこまで求めているアイヌ関係者はいないと思っています。

 

以下に、アイヌ関係者であり、ゴールデンカムイアイヌ文化監修をしている中川裕氏の著作の言葉を引用します。

 

「本書がひとりでも多くの方の手に取られ、アイヌの歴史や文化に触れて、興味を持つきっかけとなれば幸いです。」

 

(中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』/集英社新書/2019年)

 

 

漫画というものの影響力はそこまで強くありません。何かを劇的に変えることは漫画に求められていません。

 

でも、さらにその後、言葉が続きます。

 

「そして最終的には、アイヌの人々が現在のこの社会で、自分たちの文化の維持・発展のために活動している姿に関心をもってもらえることを願っています。」

 

(中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』/集英社新書/2019年)

 

ゴールデンカムイ読者に求められていることがあるとすれば、それはデモや抗議活動への参加などの大それたことじゃあありません。

 

「文化、その維持への努力を知ること、興味を持つこと、関心を持つこと」です。

 

知ったうえでそれ以上に発展することはあるでしょう。

「これはもっと知られるべきだろ!」と思ってライブに行ったり、「えッこんな差別ひどすぎるじゃん!!」と憤って発信をしたり、そういった個人の発展はあり得ます。

 

でも、一般読者に求められているのはそこまでじゃないよな、ということは認識して、気軽に知ってみるのがイイと思っているんです。

 

そして知ることは差別や不平等へのカウンターになり得ます。

 

例えばですが、同書p222で「コンブという言葉の起源がアイヌ語である」ことに触れられています。

コンブは北海道西部で「コンプ」と呼ばれるそうです。

この呼び名は797年『続日本紀』にすでに登場しています。

つまりそのころには日本の朝廷と(岩手を経由し)アイヌ語話者が交易をおこなっていたということが浮かび上がってきます。

 

こういうことを知っていれば、

アイヌ民族は本当はいなかった」「捏造の民族である」

など書いて出版された本について、

「あれえ〜?おかしいぞ〜?」

とひっかかることができるわけです。

 

アイヌ関係者がゴールデンカムイ読者に求めるなら、たぶんまずはこのくらいのことでいいんじゃないかなって。

 

 

2.でも、漫画から現実を知ることはできないので。ゴールデンカムイの中のアイヌ誤用3つをご紹介。

 

と、言いつつ。

ゴールデンカムイはエンタメであって、正史ではないし教科書でもないです。

 

エンタメは面白さのために正しさを犠牲にすることがあります。それを演出と呼びます。

 

演出は面白さのためには最強正義ですが、↑でご紹介したような「差別をはねのける正しい知識」のためには間違っています。

 

ですから現実を知りたければ現実のアイヌを紹介した本を読みましょう!

 

せっかくなので、『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』からいくつか、ドヤれる「野田先生がエンタメ力(りき)を発揮してデコったところ」をご紹介しますね。

 

なお、以下の文章の引用は全て『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』から引用するため、引用元ページ数のみ記載します。

 

1.「チタタプ処女」とかないぞ!ただ叩く料理「チタタプ」は演出の最高峰

 

チタタプとは、アイヌ料理であり『ゴールデンカムイ』内で頻出する料理名。

 

肉を包丁で叩く、つまりミンチにする料理方法です。

 

「チタタプ、チタタプ」と言いながらグループメンバーひとりひとりが肉を叩かないといけない・・・というアシリパさんルールに基づき、軍人や侍、凶悪犯罪脱獄囚などが包丁で肉を叩くシュールな風景が繰り広げられます。

 

このチタタプに関して、『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』168pにて、「チタタプとは特に唱えながら作る料理ではない」ことがはっきり書かれています。

 

「漫画に描かれているように」「チタタプ、チタタプ」と言いながら刻むということはありません。あれは野田先生の創作です。」168pより引用

 

チームワークの創出やオモシロでの利用みたいですね。

うんまあ面白いよね。↓とかね。

 

戊辰戦争の亡霊、土方歳三和泉守兼定で刻む鮭。こんなもん面白いよねえ。
野田サトルゴールデンカムイ』13巻 集英社より引用

 

そのため名言「チタタプ処女(チタタプしたことない奴への蔑称→蔑称なのか?)」なんかもあり得ません。あれは野田先生の願望・・・なのか。

 

2.滑り降りるのは靴でした。3巻の杖でスキーする「クワエチャラセ」

 

ゴールデンカムイ』序盤の大一番、クマ猟師の囚人二瓶との闘いが描かれる3巻。

狩猟の心意気やテクニックがふんだんに盛り込まれたカッコいい巻です。

 

この巻で、アシリパさんが杖で雪の斜面を滑り降りるアイヌのスキー術「クワエチャラセ」が登場します。

しかしここにも野田演出が。

 

「実はクワエチャラセは「杖で滑り降りる」という意味ではあるのですが、杖に乗るのではなくて、ただ靴ですべるのです。(中略)杖はストック代わりにしてバランスをとるわけです。」p246

 

 

めっちゃカッコいいけど、ホントは乗るんじゃなくてスキーのストックの扱いのよう
野田サトルゴールデンカムイ』3巻 集英社より引用

 

じゃあこれが不正解かというと、「かっこいいから漫画としてはあり」ということも中川氏は述べています。

実際めちゃくちゃカッコいいし、これぞ漫画です(が、信じちゃダメなやつだった・・・!)。

 

 

3.フチのメノコイタ、もっと大きい。誤りがあって監修とのやり取りで変更されたサイズ感

最後に、これは演出ではなく誤りの部類をご紹介します。

 

ゴールデンカムイ』4巻には、アシㇼパさんのおばあちゃん(フチ)の使用するお料理道具「メノコイタ」が出てきます。

 

このサイズが本誌掲載時に小さかったため、単行本掲載の際に描き直ししてもらったとのことです。

 

 

中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』/集英社新書/2019年

 

本誌ではいやに小さくて、せいぜい縦の長さが30センチくらいしかないように見えます。(中略)コミックスにするときに大きく描き直してもらうことにしました。それによって、50センチくらいになったのですが、フチの顔が大きすぎて、これでも大きいようには見えなかったのでした(笑) 245pより引用

 

こういった細かな点をきちんとやりとりして変更されていることがうかがえます。

 

 

 

3.正しい知識は強く、そして漫画が面白くなる。どんどん知っていこう!

 

このエントリーでは以下をお伝えしました。

  • 一般の読者が漫画の文化知識に対して求められていることの見解
  • 実際にゴールデンカムイで誤った文化(演出)が使われているシーンの紹介

 

ゴールデンカムイ』は実際の少数民族の文化の美しさもカタルシスとして取り入れています。一般の読者とは呼べない、例えば社会問題の専門家、民族学の研究者、人類学者などは言いたいこともたくさんあると思います。

 

でも、一般読者は漫画を読み、日々自分の仕事を全うしています。

そういった人までもが深く子細な知識を持つことは現実問題としてかなり厳しいと思います。

 

しかし、例えばこのエントリーでご紹介したような本を900円で買ってみて、まずは「野田先生けっこう演出入れてるな!」「オソマって「うんこする」っていう動詞なんだ~へ~」などなど、物語との差異を楽しみ、そして正しい知識を得ることはできるんじゃないかなと思います。

 

文化とは、その人たちの生きた証そのものです。

やっぱり違っちゃいけないんです。

 

先日、思ったことを呟いたのですが、

やはり文化を漫画で勘違いされることは正しくないし、場合によっては致命的だと思って。

 

[http://

]

 

ってなるじゃないですか。

 

知っていきましょう。多分それが求められていることだし、マンガを気兼ねなく楽しく読むことでもあると思うんですよ。

 

 

それに、知ることによって漫画はより面白くなります。

 

  • 差別を受け続けながら「慣れてる」というアシリパさんの今までも、
  • その差別に家族の結核村八分にされた自分の経験を重ねた杉元の怒りも、
  • 最初はアシリパさんに差別語を投げつけながら、ロシアではアシリパさんを守ることを選択した白石の気持ちも、

 

より深く味わえるってもんです。

 

↓、野田先生の書き下ろし漫画も入ってすごくおすすめ。ファンならぜひぜひどうぞ!

www.amazon.co.jp

 

 

5/20追記

↓エントリーも書きました。

このエントリーでは『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 』をご紹介しましたが、『アイヌ文化で~』が巻末に直接くっついているようなアメコミ『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』の解説文の良さをご紹介してます。

なお『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』はKKKアメリカにおける有色人種、および有色人種を擁護する白人種差別集団)を扱ったコミックスです。

ima-nakayama.hatenadiary.com

 

ゴールデンカムイの実写化が不安なのはなぜか?~金カムの社会的信用について~

4月某日、ゴールデンカムイ実写化のニュースがありましたね。

 

Twitterをやっている方ならちらとでも見たと思うのですが、賛否・・・というか「否」が吹き荒れました。

 

あまりのことにTwitterをまとめてしまいました。

 

togetter.com

 

このまとめでは主に3つの否の声についてまとめたのですが、その中のひとつめ

アイヌ文化が描けるのか」

というとこに対し、ゴールデンカムイファン(卒論は多分金カム)の美術批評コースを学ぶ大学生、中山の見解を述べたいと思います。

 

以下5項目で論じます。

 

1.金カムの監修、取材がどれだけすごいか

2.↑によりできた社会的信用について

3.↑でできた社会的信用は現実の差別に効果がない

4.邦画界を知らない私が感じる不安

5.まとめ

 

 

焦点は「ゴールデンカムイの築いた社会的信用」となります。

そしてファンは「不安」なのです。

 

 

 

 

1.取材・監修がスゴイ。増え続ける奥付資料、複数回の休載、少数言語~方言も監修

 

まずゴールデンカムイは面白ネットミーム戦争猟奇殺人犯筋肉アイヌ飯漫画ではありません。

 

いえ全部正しいんですけど、その上で取材と監修がスゴイです。

 

まず奥付資料。見ていただいた方が早いですね、最新刊29巻の資料です。

 

野田サトルゴールデンカムイ29』集英社 2022年 より引用

大部分がアイヌ資料、またロシアなども入っています。

 

資料だけでなく、監修もたくさんついています。

アイヌ語はもちろん、ロシア語、薩摩弁、新潟弁と複数人の監修者がいます。

 

その中でも少数民族ウィルタ族の監修者は世界に1人しかいません。

 

dot.asahi.com

 

こういった取材のため、野田先生はたびたび休載を繰り返しています。

 

togetter.com

 

ゴールデンカムイが単なる面白ネットミーム戦争猟奇殺人犯筋肉アイヌ飯漫画ではなく、分厚い下敷きのある面白ネットミーム戦争猟奇殺人犯筋肉アイヌ飯漫画であることがお分かりいただけたかと思います。

 

2.↑の結果を受けての、大英博物館マンガ博のキービジュアルの快挙。そしてアイヌ関係者からの信頼

 

少数民族への信頼感のある作りから、2019年に開催された大英博物館のマンガ博でキービジュアルを飾っています。

大英博物館のキュレーターインタビューを引用します。

 

美術手帳(Web)2022/4/23閲覧 より引用

 

 

bijutsutecho.com

 

また一部アイヌ関係者からの信頼も厚く、エンタメ漫画ながらアイヌ文化の手がかりとして使える本なども出版されています。

 

www.amazon.co.jp

 

ゴールデンカムイが単なる面白ネットミーム戦争猟奇殺人犯筋肉アイヌ飯漫画ではなく、社会的信用のある面白ネットミーム戦争猟奇殺人犯筋肉アイヌ飯漫画であることがお分かりいただけたかと思います。

 

 

3.それでも聞こえてくるアイヌ当事者の悲痛な声。作中の誤謬と、アイヌたちの7割が苦しい生活生活をしている現実

 

 

・・・と、ここまでは原作ファンの私がきゃっきゃしてお話しできたことなのですが、この後はちょっとしんどい話です。

 

この実写映画化が話題になり、Twitterアイヌ当事者の方の声もちらほらあがってくるようになりました。

 

哀しいことなので引用はしません。

 

しかし、そこにはゴールデンカムイが流行っても、当事者にはなんのメリットもないどころか話題になるたび誤解による中傷が増える」

という切実な声がありました。

 

そのツイートにも、根拠のない、民族を誤解したツイートがつながっていました。

 

ゴールデンカムイアイヌを丁寧に扱ってはいますが、エンターテインメントです。

誤謬もあるし、物語のためにはしょることもあります。

 

ゴールデンカムイの誤謬で有名なのは狩りで獲った獲物の肉をミンチにする「チタタプ」です。

チタタプと唱えながらミンチを作るのは野田先生の創作であり演出です。

 

これはチーム内の連携やその反応でキャラ付けをする効果であり、漫画としてとても有効なものなのです。しかし現実のアイヌの理解には誤解となります。

 

これが信じられることにより、アイヌの事実がまた一つ消え、異なるアイヌ像が立ち上がります。真実からひとつ、遠くなります。それはじわじわと民族が消えていくことです。

 

 

 

また私はゴールデンカムイの奥付資料をいくつか持っているのですが、その中には明らかな差別が見て取れます。

 

[http://

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学校をいじめでやめることは、教育格差につながり、就職格差につながり、世代連鎖的な貧困につながります。

またもっと直接的な居住地の限定や搾取もあり、大和民族マジョリティが軽々しく触れていいわけのない、現代に至る深い悲しみがあります。

 

以下は平成29年のアイヌの生活調査の引用です。

公益社団法人 北海道アイヌ協会 平成29年 北海道アイヌ生活実態調査の実施結果(概要) より引用

平成29年 北海道アイヌ生活実態調査の実施結果(概要)

 

「とても苦しい」、「多少困る程度」が全体の7割であり、苦しい生活が見て取れます。

 

ところで今回の実写化で「アシㇼパさんはアイヌ人俳優が演ずるべきか否か」という議論がありました。

 

しかしながら、アイヌを公言する俳優は数少なく、さらに少女役で思い当たる人はほとんどいません。

 

これは差別構造の可視化です。

 

 

アイヌがいじめられることなく教育が受けられて、就職格差もなく経済的にも豊かで、俳優への門戸が大きく開かれている・・・「ということがなかった」末の結果だからです。

 

これは個人の努力や才能ではなんとかなりません。

芸能活動はお金がかかります。食うや食わずの家族が目指せる道ではありません。特に子役は。

それができなかったのは個人のせいではなく、何かと言えばアイヌに生まれたことです。

ひいおばあちゃんがアイヌで、いじめられて学校にいられなくて、就職先も限定され、貧しい、こどもに高等教育を受けさせられない、貧しい、そのこどもも・・・・・それが今の今まで続いている。

 

うまれついて○○だから○○できなかった。個人の力じゃなんともならない。

これが差別構造です。

 

私はアイヌ研究者ではないし、現実にヒアリングしたわけではありません。

ただ、

  • 明治の時代に起因するアイヌ差別があった
  • そして今もなお7割のアイヌの生活を困窮している。

この2点は事実です。

ここから導きだされるのは、やはりアイヌが生まれ民族によって差別され、不利益を被っている現状です。

 

この記事の1.2.の項目で、野田先生、および集英社が尽力して構築した信頼ですら、現実の差別に大きな影響を与えることができません。当事者感情としては辛いものがあると想像します、、、

 

 

 

4.邦画は社会的信用にコストを払えるのか?業界を知らない私にはわからない、それが不安なのだ

 

1.2.3.で、ゴールデンカムイが築いた信頼・信頼の結果の社会的評価・そしてそれでもなおアイヌへの差別が横たわる現状・・・をお伝えしました。

 

私はアイヌのことを知らないことを恥じましたし、今後学んでいきたいと思っています。

また冒頭で紹介したツイートまとめをする際にたくさんのツイートを見ましたが、ファンたちはアイヌへの親密感に溢れていました。それがまだ差別を深く知らないとしても、知っていくきっかけにはなるんじゃないか、と思っています。

 

けれど、実写化に伴い、邦画はこのレベルの信頼を構築できるのか?

 

アイヌのふるさとを舞台にした作品です。

当然、アイヌのコタン(村)やイオマンテ(クマ送りの儀式)、アイヌ料理アイヌの歌などが登場するでしょう。監督や美術監督の取材も必要でしょう。

また作中の人気キャラ鯉登少尉の薩摩弁、ロシア編ともなれば少数民族ウィルタ族、ロシア語監修も必要です。

 

相当お金がかかると思いますし、かけるべきだと思います。

 

 

邦画制作チームは、すべてのコストを払うことができるのか?

 

私は邦画に詳しくないので分かりません。

知らないことは不安を呼びます。

不安は簡単に拒否感情になります。

ゴールデンカムイファンの実写への拒否感情は、主に「不安」だと思います。

 

 

5.おわりに。原作ファンは原作と同じつくりではなく、原作と同じレベルの評判を期待している。

 

「漫画原作映画は出来が悪い」

そんな風に思っていた時代が私にもありました。

 

しかし改めて思うと、『釣りバカ日誌』、『東京リベンジャーズ』『アイアムアヒーロー』『殺し屋1』『闇金ウシジマくん』といった良作も多数あります。

 

一方、『進撃の巨人』『鋼の錬金術師』『デビルマン』(以下略)

 

この作品群を比較したときに気づくのは、「ローファンタジー(現実と共通点の多い創作)」であること、そして「むりにマンガキャラの見た目を寄せないキャスティング」だと思います。

 

釣りバカの西田敏行、ウシジマくんの山田孝之殺し屋1浅野忠信と、二次元のキャラ見た目を無理に寄せていなくても良い作品は多いです。

 

一方ハガレンの某キャラのカツラ感(以下略)

 

漫画原作ファンを代表するつもりはありませんが、ゴールデンカムイ、そして私個人の意見に限って言えば

「映画化するなら別に原作に沿わなくていい、ただ漫画と同じだけの配慮と、同じくらいの社会評価を得てほしい」

という願いがあります。

 

漫画とはメディアの違う映画が、この問題をクリアするのはとてつもない困難があると思います。

 

しかしそれをやるべき作品だし、

もしできたならば、それは邦画にとってもとても大きな前進になるんじゃないかな・・・とも思っています。

 

物語は人の意識をわずかに変える力を持っています。

影響力の大きい映画が真摯なつくりになっていれば、今すぐ何か変わらなくても、将来的に少し変わっていくと思います。

 

 

 

 

月刊アクション2022年4号

いくつかの作品の感想を。

 

 

 

 

新連載『ひぐらしのなく頃に 鬼』

私はひぐらし未履修なのでどういうことなのか分からないのだけど、表紙見開きの陰惨さでそういうことなのだなと理解した。うむ。

 

 

小林さんちのメイドラゴン』系コンテンツが5本掲載!!す、すごいねえ

 

つぐもも

なんていうか、こう、裸体がデフレている。ありすぎる。裸体をものともしていない。裸体が好きなのか好きじゃないのかどっちなんだ(たぶん好き)