著者: 反トランス差別ZINE編集部
トランスジェンダー当事者、あるいは「共にある」著者17人のエッセイ、またおすすめの本などが紹介されている。
一番最初の三木那由多さんのエッセイだけ、大筋と私の感想を絡めて述べたいと思う。
『くだらない話がしたい』三木那由多
三木那由多さんはトランスジェンダー当事者である。
その体を持つが故、トランスジェンダーというフィルタが、気づけばかかってしまうという。例えば何か映画の感想に。
私は普段から漫画の感想を書き続けていて、感想を表現するというプリミティブな行為が社会的立場にどれだけ左右されるか知っている。
簡単な話で、私は発達障害者なので奇矯な行動のキャラクターが出る漫画を読んだ時、ああこれはモデルにしてますねわかりますと頷いてしまう。『ミステリという勿れ』の整くん、私は発達障害のモデルで描かれてると思うなあ。
三木那由多さんはトランスネスをコンテンツに見出してしまうという。そしてそれを隠さない本を出した時、「差別への抵抗の言葉」として取られてしまうと。それはありがたいが、寂しくなることもあると。
人間はどんな人でもくだらなさを内包している。エロいもんだって見たいしどうしようもないギャグで笑いたい。
三木那由多さんはくだらなくいられないのは自らのトランスジェンダーという属性のせいであり、すなわち発言全てが「差別問題に悩む私の言葉」になってしまうからであるという。
「社会問題の一部」になってしまうと。
ここで突然私事だが、私は発達障害の度合いは薄い方なので、困りごとを隠せていて差別も受けていない。
しかし私が発達障害であることで、優しい人であれば気を遣ってくれるだろう。私が漫画のキャラクターの発達障害について言及した時、私の困りごとを重ねてシリアスに受け取ってくれるはずだ。
私だけではない。人間はどんな人でもシリアスな部分を持っていて、その属性からコンテンツを見ることでくだらくいられない。面白いなあ、と思ってテキトーなジョーダンを言ったら「あなたらしい感想だね!やっぱり(綺麗な目)」というなんとも言えない時間を過ごした事はないだろうか。ごめんそれジョーダンだったんだけど。。あ、ごめんなんでもないありがとうとか言ってみる。
三木那由多さんにはそれがいつでも、四六時中、より強固に、永劫とも言える時間、付きまとう。時にはリラックスしてくだらなく在りたい。その気持ちに少しでも共感することはできる、と言えるだろう。
三木那由多さんがくだらなくいられるためには、簡単だ、社会が変わればいいのだ。トランスジェンダーが当たり前の世の中になればいい。その時には三木那由多さんの感想は単なる一側面となり、多様性の一部として合流する。三木那由多さんはなんぼでもくだらないことが言える。
トランスジェンダーの発言がシリアスに受け取られるのは、それだけ差別が根深いことの裏返しだ。差別は無知に宿ることがある。本からでもいい、知るべきなのだ。
反トランス差別ZINE『われらはすでに共にある』は1人あたり2〜3ページほどのエッセイが連なるので、一人一人は短く読みやすい。しかし17人分の視点は様々な知見を与えてくれる。この人たちが勧めてくれるならば、巻末のトランスジェンダー知識のおすすめ書籍に進むのもいいなと思える。
みんなくだらないことを言えるようになろう。「くだらない権」の剥奪は、ピリピリした会議で、遠い親戚との会食で、相性の悪いメンタルクリニックのカウンセリングでウンザリしているではないか。
私たち全てが差別に敏感だとはとても言えないけれど、少なくともみんな好きな時にくだらなくあるべきで、そこに性差が関係あるわけもない。「くだらない権」を保護せよ。そのために差別と戦おう。
私たちはすでに共にある。