その日読んだ漫画の雑感をまとめておくエントリです。
リンク切れや無料期間公開終了などご容赦くださいませ。
[特別読切] しょうもない女
ショートで短い10P漫画。
女の子と女の子の感情のもつれ。
ノールックで左利きなの、いいですね。マイノリティが何の説明も、なんの必然も無く登場するのは気分がいいです。
線場のひと 【第四話 スコット・チャールズ・オコナー 1949】
売春宿にいる女の子が「絵が達者」という言葉を紡ぐ
マッチョさと貧しさとそれを恥ずかしく思わなければいけない状況と。
この作品には、何も赦しがない。。
戦後、すべてが貧しく、人権が尊重されていなかった頃、繊細な心と願いを踏みにじられている人たちがいた。
今回はアメリカ兵の若者の話。男性のマッチョなコミュニティに参加せざるを得ない、そんな辛さもある・・・という話に見えました。
『やけっぱちのマリア』
手塚治虫の『やけっぱちのマリア』、ハレンチ学園が出た時にそこに反応して描いた(って本人が書いてる)駄作(って本人が書いてる)、
ちょっと思うところあって読んでみまして、
なるほどさすが漫画の神様は自己批判もできてえらいぜと(仰る通りの質だ)
た、だ、
現在の社会ジェンダーロールの観点からじゃあとてもとてもOKの出せない内容なんですけども、
エンタメとしてはどうにもならない作品だけど、
1970年代の少年向け性知識啓蒙として、ありなしで言ったら私はアリだと思う。
もちろんリテラシーは激古で男女二項対立、女性への固定観念に満ちてるんだけども。
1970年、まだ戦後の記憶もあって、1965年にようやく痴漢が罪に(それまでは犯罪扱いじゃなかったので・・・)なった日本。
1970年代で男女平等を説き、受精をきちんと描いたのはさすが医学博士。
一方でウーマン・リブが登場したのは同年1970年国際反戦デー。
手塚治虫がフェミニストを意識していたかどうかはわからないけど、女の子のスカートをめくって喜んでる漫画がヒットする社会で、『やけっぱちのマリア』は先進的な漫画だったと言えると思います。
発達障害なわたしたち
フィーヤンで読んでいたけど、改めて漫画も買ってゲラゲラ笑いながら読みました。あるあるネタだ(当事者目線)!
めちゃめちゃ他責のタイプもいれば、すごく病んじゃうタイプ、あと発達障害であることを消したいと願う(できないと分かったうえで)タイプ、発達障害をふわ~ッと受け入れるタイプなど本当に多彩。いろんな人がいまーす。
医師・岩波明氏の監修(作者の主治医)もついているので信頼性の高い漫画。
巻末で岩波氏も「漫画だけど発達障害理解入門書としてもどうぞ」と言ってて、オモシロな雰囲気と同時に発達障害者のタイプが知れる良マンガっす。
ただ、あまりに発達障害あるあるすぎて、いわゆる健常発達の方にはあんまりおもしろくないのでは・・・という懸念すらある。
もし自覚として健常発達の方がこれ読んで、お話お伺い出来たら幸いです。ハイ。