このエントリーに書いた感想は以下の2件。
- 『ゆりあ先生の赤い糸』11巻
- 『半分兄妹』【第2話】
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『ゆりあ先生の赤い糸』11巻
くも膜下出血で『遷延性植物状態』になった夫と、妻ゆりあ(50歳)。
自宅介護を決意するも、植物状態の夫の愛人1(※男性)と愛人2(女性子持ち)が現れた。進退窮まったゆりあの決断は「全員で介護する」!
そんな中、ゆりあにも20歳以上年下の恋のお相手ができて・・・
介護と愛情を中心に型破りな家族関係を築くヒューマンストーリー、完結巻。
ああ、これは少女漫画だったんだ、と最終巻になって思い知らされた。
非常に込み入った人間関係と緻密な人物描写がすばらしい入江貴和先生、↑のあらすじで想像する「らしい人物像」をはるかに凌駕する生き生きとしたキャラクターが今回も健在。
例えばともすれば悲劇のヒロイン、「おしん」のような涙にぬれた主人公になってしまうであろう状況下のゆりあ先生は、豪快な性格と高い背、ぶっとい眉毛を持ちながら刺繡の先生でありバレエを習う50歳。キャラクターのよくある「型」を何重にも突き抜けるキャラメイキングが本当に素晴らしかった!
『おかめ日和』『たそがれたかこ』で女性の背筋を凍らせたモラハラ夫は今回不在な代わりに、人との境界線が甘くてちょっとだらしない優しい男性が夫。
ほか、わがままで強気なゲイの青年、したたかながら元夫のストーキングに悩まされる女性などと共同生活を送る波乱万丈な家族関係。
キャラメイキングもそうなのだけれど、関係性にも本当に「型」がない。
「そういう付き合い方ってありなの?」「その関係性、どういうテンション?」という、ピンとこない、おさまりの悪い人間関係を紡ぐ人々。
でもそれって正しい気がするんだよね、人間関係って先に「夫」とか「恋人」とか「家族」って型に合わせるんじゃなくて、人間が作った関係性に後から名前を付与するのが本来だよねって。
で、そんな分からない名前の関係性の二人が出会って見つめ合う。それは恋人でも夫婦でもない、まだ社会的な名前のついてない関係。だから多分とても純粋なもの。大人から社会的な関係性を取り払って恋をするって、こんなの少女漫画じゃん!
この関係性が分からなくっておさまりの悪い感じをたたえたい。そのおさまりの悪さは、今までの「伝統的家族」を吹き飛ばしたやつだから。
『半分兄妹』【第2話】
ハーフ、ダブル、混血・・・
ガイコクジンの親を持つと呼ばれる呼称は、「異物」のレッテルでもある。
笑って流せば溶け込める、そのちくちくした引っかかりを描く物語。
これは「日常モノ」ですよ。
主人公の米山和美マンダンダはフランスと日本のミックス。生まれも言葉も日本ネイティブ。Webライター。
相棒はマジョリティ日本人、友達はいろいろ。ミックスともだち(ライングループ名:マッドミックス 怒りのデスロード)もいる。
居酒屋ではとりあえず生。マッドミックスの面々はとりあえずがポテサラ派(店の力量が「解かる」からとか)やエイヒレ派など呑めるチョイス。手塚治虫の描くブッダ(シッダルダ)のエロさは悟る前がイイと思ってる。
「日常」を感じさせるミームやあるあるネタ、サブカルコンテンツなどが頻出し、日本のよくいる若者であるのに、唯一ひどく負荷がかかっているのがその血筋ってか、親の国籍ってか。
今回の2話では、中国と日本のミックスである紗瑛子のエピソード。「地元の知り合いに似てる」とよくよく言われる、見た目は全く日本マジョリティである彼女の「異質」なところは、お母さん、嗬嗬(マーマー)が中国語ネイティブなこと。その繊細な葛藤。
言うても日本ってアイヌや琉球といった他民族や中国や韓国といったアジア近隣諸国ルーツの2世3世、ブラジル人街(大きいのは群馬県大泉町にある。人口の10%がブラジルルーツだそう)などに代表される移民街のあるれっきとした複数民族国家の上、更には出雲民族など先住民もいたらしいのにアーカイブされてないのでもう分からないっていう話でね。他人様の肌の色で「ガイコクのヒトでしょ?」とか言ってる場合じゃないんだが我々は無邪気に言う。ところで私、一応日本マジョリティの自認ではあるが実際は何民族なんだろうな?
大多数の「民族を消された民」の社会が「ガイコクノヒト」をどう扱うのか。楽しく読んだ後に振り返ってみたいマンガ。自省を込めて。