その日読んだ漫画の雑感をまとめておくエントリです。
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本日は11件の漫画の感想です。
- 『こりせんまん』
- 『極東事変』6巻(完結巻)
- 『球神転生』第二話
- 『胚培養士ミズイロ』(いったん3巻まで)
- 『ウスズミの果て』(2巻まで)
- 「物語る星」
- 『雷鳴りて春来たる』3話
- 『ふしぎの国のバード』(〜6巻)
- 『はじまりのはる』
- 『断腸亭にちじょう』37. 第34話
- 『JKハルは異世界で娼婦になった』(7巻完結)
- ※『クッキングパパ』に関するショート論
- ※共同親権推進に伴う『3月のライオン』ショート論
『こりせんまん』
はるかむかし、天変地異を巻き起こすほど力のある強い玄い狐がいた。その妖力は取り去られ、体には縛りが設けられた。罪を償わなければ痛みが襲う。その贖罪に課せられたのは「カワイイ化け狸を一人前に育てること」。ツンデレ狐とめちゃカワ狸の擬似親子な毎日。
絵が上手いです〜
動物もうまいし、変化して人間になった時の骨格の太さも好み(こう、ガシッとした太さのあるキャラ造形で)
ツンツンした狐マン、阡三(せんぞう)がカワイイ狸萬八(まんぱち)にてんてこまいになる、ウフフフかわいですねえってお話。
ガチ動物とキャラ化した動物の明確な差を絵で見られるのはマンガのいいとこだなーと思うし、動物時の特徴を残した人間キャラクター化もすごいなあと思います。ひとと動物のあわい。
『極東事変』6巻(完結巻)
1945年、東京。敗戦後の打ちひしがれた空気の中、GHQは戦後処理にあたっていた。それこそが731部隊製の生体兵器「変異体(ヴァリアント)」の殲滅である。生体実験により脅威の回復力を誇る変異体たちによる終戦を認めないテロリズム。
GHQ子飼いの変異体少女「砕花」と、不死身の衛生兵「近衛」がバディを組んで、東京を舞台にカーチェイス&ガンアクション。敗戦後ドンパチ漫画、完結。
敗戦後の東京でそんな量の火薬ないだろ!という豊富な爆発と色とりどりの銃器、クラシックな外国車アクション、そしてほぼ不死身の生体兵器&地獄帰り兵士のバディ。
「戦後東京でド派手なアクションをやりたいんだ!」という大胆な解釈、歴史物に強いハルタらしいしっかりとした歴史考証(の上でのハズシ)が異色な漫画でした。
ただし731部隊に関しては国の内外問わず生体実験をした事実があり、エンタメ素材として消化できるほどわたしが理解できていないので評価不可です。
ただ1950年の朝鮮戦争特需について書いてあるのはいいなと思いました。エンタメの中で戦後復興もまた戦争産業であったことが描かれるのは「記録として貴重」と言える作品だと思います。
焼け野原の東京でクーデターを抑止するという目的はすごくいいなーと、終戦を認められないテロリストが本来旗頭に掲げていたはずの人たちを襲撃するってすごく好きな方向性なんだけど、完全なドンパチエンタメに変換するにはいくらなんでも、というか。
ニコニコ楽しむにはぜんぜん社会の振り返りができていない時代なので、ちょっとまだ受け入れ態勢はできていないデスね。。
面白かったよ、不死身の兵士とド派手ガンアクション。たぶん作者の方は相当調べてる人だと思うので、もう少し形を変えてまたこの時代にトライしてほしいなあと思う。この時代を描こうとしたことは結構チャレンジだったと思うのです
『球神転生』第二話
ジェントルメン中村氏の濃ゆい濃ゆい小学生野球漫画、濃厚さをさらに高めて第二話公開。
これ以上濃くなったら箸がどんぶりに立つくらいになるけどどうしようと思ったらすでに立ってる感じだった。
ジェントルメン中村氏、キャラクターの作品横断システム「スターシステム」ならぬリアクションの横断「スターほっこり」(なんか・・・「ホッコリ」ってリアクションがすごいあるんだヨ)をしてきたけど、今回「ポコーン」が出たので今後使いまわされることを期待したい。ポコーン。
『胚培養士ミズイロ』(いったん3巻まで)
14人に1人。日本で体外受精で出産される人数。
不妊治療、、生殖補助医療を医師の指導のもと行う「胚培養士」。卵子と生死を授精させたり管理する役割を担う。
最低で3年の研修。その後もずっと勉強。生命を扱う以上ミスは許されない。
胚培養士水沢と一色。「少子化とか関係ない、こどもを持ちたいという願いを叶えるために仕事をする」。監修もしっかりついたおかざき真里氏の新作。
センシティブなテーマであると認識しています。これを男性向け媒体ビックコミック(小学館)で描くこと、その上で不妊の半分の理由である男性不妊もガッツリと踏み込むこと、非常に意欲的だと思います。
「子を持ちたいという願いの強さ」に関して、わたしはジャッジする術を持ちません。社会的な道徳倫理、個人の思い、金銭的な可能不可能、いろんなものがあると思います。
ただ「胚培養士ミズイロ」で描かれる様々な技術、科学の進歩、問題意識などは見て勉強になりました。
高校生の少女ががんになり、卵子が治療のダメージを受けるのを避けるために卵子凍結を決意する、それは「がんを治した後の未来の可能性のための準備」。科学ってこういうことのために発展してほしいじゃないですか。
『ウスズミの果て』(2巻まで)
今より50年以上前、人類の大半が死滅した。
人間を蹂躙した異形、「断罪者」と呼ばれるそれが出す瘴気を吸った人間は奇病に冒され死んでいった。
丑三技研の臨時調査員、丑三小夜は、誰もいない都市で人の痕跡を探し、埋葬して歩く。寂しいポストアポカリプス。
以下、たぶん物語の趣旨とかなり違う感想(のため、見たければ反転などしてみてください。ある程度ネタバレもしてしまうので)
これはわたしのこだわりの話なんですけども。。
死の世界で死体を見つけ、火葬して埋葬する。そんな斜陽の世界の物語なんですけど、
火葬場で、長い箸でお骨を拾う、そこまでやって、お墓は個人という違和がありまして。。
丑三小夜は研究から生まれた不死の人造人間で、本人自体に宗教観はないと推測されるんですね。「葬儀はイメージでやってる」と言えなくもないのですが、火葬に対しての宗教的な忌避のある人がいるかもしれないこと、墓とは親族と共に入ることが重要な宗教観があること、
それら宗教観の機微を意識的に無視している感じじゃないのでなんだかなあって。。
人造人間、分からないから逆に本とか読んで型通りの宗教行事に異様に詳しくあってほしいという希望があって、イメージで火葬や埋葬ってできないんじゃないかなあと。残ってた映画とか見たのかな。。なんの映画見てそうなったんかな
「物語る星」
ジャンプラSFの旗手、田中空氏新作。
宇宙の意味とは、語ることではないか。ある執事の物語がひとつ、伝えられる。
田中空氏のSFはいつも「すごくてすごい」みたいなことしか言えないわたしですが、「物語」の話であればズバッと参上!
「物語が全ての根幹である」という仕掛かり、わたしは大好き。
人類は幸福になるためのフィクションを作ってきた。やれ太陽がすごいとか、神様偉いとか、いや学問だ、資本だ、人権だと。
全てのものはフィクションで、わたしはそれを悲観していない。フィクションは選べる。わたしを幸せにしてくれるフィクションを。それはいまのところ人権で、わたしが幸せになるためには人類全体幸せになってもらわなきゃいけないから。幸せの連帯責任。
しかしでは、幸せにするべき人類がいなかったら、それでもフィクションは成立するのか。
わたしは「成立する」と思う。
田中空氏の『物語る星』は、「信頼できない語り手」が語る。着いた遺跡に物語の柱となる根拠はない。「先生」のその場の作り話である可能性もある。富豪と執事、先生とリコの関係は相似する。
それでもフィクションは「先生とリコ」のアイデンティティを支える。1人でも物語るものがあれば、物語は立ち上がる。
先生が語る物語は不完全で、凡庸と言っていい。正確には「新そうで新しくない、ちょっと新しい物語」。つまんないと言い切るほどじゃないがそんなにキレッキレに新しくもない。過去の寓話の類型をひらけば、似た様式のお話はいくつも見つかると思う。
でも先生とリコが選んだファンタジーはそれでいい。完全に凡庸ではなく、でも死ぬほど目新しいわけじゃない、そういう話を先生とリコはよすがにして存在している。
そして「完全に凡庸ではなく、でも死ぬほど目新しいわけじゃない」人生こそたいていの人生で、それこそ人類が失われてしまった時、最も得難くオリジナリティのあるファンタジーである。
『物語る星』の中核のお話、それそのものに感動したりするものじゃないのかな、と思う。感動するほどじゃない物語を大事に抱える先生とリコ、それを生命体のいない宇宙全体のアイデンティティと据える。わたしはすきだよ、共感する。
「つまんないと言い切るほどじゃないがそんなにキレッキレに新しくもない。」とかってクソ失礼なことを言ってるけど、ポストアポカリプスにおける文明の崩壊の仕方とか治安維持、ポリティカルコレクトネス不要の死に向かう世界観(ポリコレが嫌ならこのレベル世界を崩壊させれば無問題だ)、倫理観無用の目的達成、中身の話もすごい好きだよ。。。ごめんなさい、外枠の問いに全力出したらこういう言い方になって。。でもほら、ヒューマンの人生、そうじゃんか。そんなやばいくらい面白いわけじゃないけど、いっこいっこ面白いでしょ。そういう。
倫理観のコップが溢れそうになって溢れた時、そこにあるのは破壊ではなくて消滅だったっていうの、わたしはすごいすき。他者の破壊もできたじゃんあの状況。でも自己の消滅を選んだ。それは合理的な選択。合理的に考えたら、侵略でなくて輪廻の方がいいっていうの、究極の問いだけどわたしもそっちがいい。
『雷鳴りて春来たる』3話
大正時代の女学生、ハルが雷に打たれたら、そこは令和だった・・・!「女だって男のように働けます」、職業婦人になりたかったハルのまったく常識の異なる令和JKライフの始まり!
今回の3話は「女学生ことば」が出てきますネ。少し文化的な補足を。
これは雑誌の文通などを通じて栄えた女学生たちのことば。地方との交流などない時代、北海道と東京の主婦(女学生言葉は卒業生も使った)が雑誌上で話せるなど、彼女たちが育んだギャル語だったようです。当時の男性知識人からギャル語wみたいにくそみそに言われていたので、ハルも父親には使わなかったでしょう。
大正時代、『ハイカラさんが通る』みたいな明るいイメージはありますが、察するに男女差別はスーパーベリーハード。家長、長男の権力が王様レベルに強いので、ハルが思わず男性を立ててしまうのはもはや生存方法とすら言えると思います。
ただ先ほどの女学生言葉なども、男性への反抗文化だったわけです。権力への反抗を秘めたハルが令和をどのように感じるかはちょっと怖いスね。令和人、反抗しないですからね・・・いえ頑張らないと・・・
『ふしぎの国のバード』(〜6巻)
明治11年。女性冒険家イザベラ・バードが降り立ったのはふしぎの国、日本。横浜から蝦夷(北海道)までを目標に、彼女の旅路が始まった!
あえて先人が未踏の道を選び往くイザベラ女史の行手を阻むのは悪い道と深刻な梅雨、男女とも半裸の住民たちの奇異な目とノミ・ダニ・シラミ。明治始まったばかりの日本を西洋の目が書き記す。
いや〜〜面白い。
わたしは少しだけ柳田國男をかじっているので「江戸の少し後の日本の風俗が今の常識で理解できると思うな」というのは心しているつもりですが、その具体的な例を矢継ぎ早に出してもらえるのは単純に脳が興奮します。ありがとうバードさん。
ツンデレ有能通訳の伊藤とのコンビもアツい、マンガとして満足度の高い作品です。
。。。もちろん、世界の植民地大国イギリス、そしてプロテスタント牧師の子息という出自の冒険家が、日本の文化風俗を持ち帰ることを日本人の立場で大喜びするわけにはいかないのですが。彼女自体ではなく、イギリスという国の悪辣さは警戒するに値するモノです。
が、やはり柳田國男と違い、そのズケズケしたアーカイブは西洋の思想(柳田國男、結構土地の人に遠慮してぼかしたりする)。原典も読みたくなるマンガです。
『はじまりのはる』
牛の出産に立ち会ったりバターを作ったり。押しの強い、酪農の家のイッコ上の友達と気弱な高校生の、農業高校の友情。
その平凡な生活は、サイレンによってかき消された。2011年3月、福島。この土地で牛を育てるということ、何もわかっていなかった。
酪農のこと、被災者のこと、関東のオフィスであの日を過ごしたわたしには知る術もない。
もしこの漫画に叫びが刻まれているなら、その万分の一でも受け取れたらいいと思う。その資格が自分にないと言われても。
本邦は叫びを消す。恨み言を涙を消し、被災地を観光地にウォッシュする。薪の上で寝、肝を舐めて忘れないようにする当事者性はないから、エンタメから痛みを想い、消さないようにしたい。
『断腸亭にちじょう』37. 第34話
ガンになった漫画クリエイター、ガンプ。様々な漫画表現で表される闘病生活の、苦しみとも癒しとも諦めともつかないエモーション。
もう本当に大変なことになってるんだけど、今更気づいたのがガンプ(※作中キャラクターとして呼び捨てで呼称します)が40前なこと。
わたしは40過ぎてしばらく経つけど、30代後半でもまだ体力ってあるし、いわゆる「働き盛り」ではあるんですよね。
もとから才能のある漫画クリエイターで、『断腸亭にちじょう』でも誌面を貫く漫画ならではの表現が評価されている(本作は有名な賞も受賞しています)
彼が病を得なかったらどのように活躍しただろうかと考えたりする。それはたらればでしかないのだけど。
『JKハルは異世界で娼婦になった』(7巻完結)
普通の高校生のハルは、トラックに轢かれて異世界に行った。できることは体を売ること。男尊&女卑、人権のない世界で、ハルはどのように生きていくのか。
ウン、面白かったヨ!
わたしは異世界転生ものというジャンルをほとんど見なくて、(ライドンキングと『逢いたくて、島耕作』、そして本作)、JKハルがどの程度、異世界もののセオリーから外れているのかは分からないんだけど。
春をひさぐことへの恨みとともだちとの生活。恋。やりがい。適応。元々いた世界への呪い。
差別に遠慮のない怨嗟を唱えながらもそれなりに暮らしていく生々しさが面白かったです。6巻あたりで「異世界転生ものっぽさ」もあり、ジャンル的なニーズを満たしているのではないだろか。
わたしはここんとこ遊郭の歴史について調べていたんですけど、ハルが働くのは直球の売春宿というより昭和初期のカフェー、「疑似恋愛を楽しむ(プラスオンでセックス)」業態のように見えます。大正期には厳しくも願えば高収入の目もあった職種で、結婚でアガリなのは同じっぽいデスね。異端者のハルの作る「女性が飲食店に普通に入れる風潮」は、この後のあの世界を変えていくでしょう。これもまた異世界ものか。
※『クッキングパパ』に関するショート論
SNSで言われていた「クッキングパパは社会問題を描かないって言った」っていう話に呼応して。
そもそもクッキングパパ、1980年代において家事のできないバリキャリの虹子さんの代わりに豪快家庭料理を作るお父さんっていうのが根本としてあって、「家庭仕事より仕事が得意な妻」「家庭料理を恒常的に担当する夫」を超〜〜ポジティブに描いたの、当時としては革命だったと思うけどね。虹子さんマジで料理できないけど、全然コンプレックス持たずに楽しく暮らしてるわけ。申し訳なさとかなしでさ。
革新的で新しい価値観とはそりゃ言わないけど、きんしゃい屋のママが別居婚してたり、梅田夫婦はこどものいない暮らしを謳歌したりして、なんていうか地方の合理性のある保守層というか。
少なくとも「女は家に入れ家事をやれこどもを作れ」に抗ってきた昭和時代は過去のものになったようでなによりです。ありがたいありがたい。
※共同親権推進に伴う『3月のライオン』ショート論
おれはマンガアカウントなので、「マンガの中の最悪の、縁の切れたこどもへの粘着」について、『3月のライオン』10巻〜11巻を紹介する。
「こんなに邪悪な男がいるのか」最悪の父親が離婚した母親の死後に遺された3姉妹に迫ってくる。理由はなんと「浮気して3姉妹を捨て別な家庭を持ったが【また浮気して】社宅を追い出されたので、【住む場所がないので3姉妹の家に一緒に住まわせてくれ】」「父と子じゃないか」。
姉妹たちは父親に繰り返し繰り返し繰り返し罪悪感を煽ることばを吹き込まれ、ボロボロになりながら断る。断れはしたけど、その後もずっとずっと泣く。ずっとずっと。
↓キャプチャもつけたけど、にわかには信じられない、、、と、まともな人ほど思うはず。でも本当にこういう人間がいる。「嫁と子供に対してだけ」。
もし「そんなに嫌われる離婚後の片親ってどんなんだろう?」と気になったら、3月のライオン10巻か11巻を読んでもらいたい(11巻の方が心底ムカつくと思う)。こんな卑劣で邪悪な人間がいるとかちょっと信じられないかもしれないけど、わたしは読んで「ああ、いる」と思った。当事者の人はフラッシュバック注意。